1989年は、昭和天皇の深刻なご病状を受けての自粛ムードの中で明けた。
しかし、
「謹賀新年 昭和64年」などと書かれた横断幕などは街頭でよく見かけたと記憶している。
結局、昭和64年は1週間ほどしかなかったわけだけれども。
(既に鋳造が始まっていた「昭和64年」と刻印された硬貨は、わずかしか市場に出なかった。
結果として、その希少性からコインマニア以外にももてはやされた時期があった)
1月7日、その日、テレビのニュースでは朝から、いよいよ重篤になった天皇陛下のご病状について報じていた。
それでも日常生活は、少なくとも表向きには普段と変わらず始まった、ように感じられた。
冷たい冬の雨がしとしとと降るのも含めて。
その状況が一変したのは、「ご危篤」報道一色の朝のニュースの途中。
宮内庁や首相官邸周辺が慌ただしい動きを見せ始めたのが分かった。
そして、宮内庁の記者会見で天皇陛下崩御の発表。
画面がさっと切り替わり、臨時ニュースを伝えるチャイムとともに、真っ黒な画面いっぱいに
「天皇陛下崩御」
の白い毛筆体の文字。
しかし私は、冬休みの補習授業のために登校した。
私は高校1年生だったが、あまりの成績不良のために、受験生でもないのに朝補習を受けさせられていたのだ。
そして授業は通常通り進行。
昼前に補修授業を終え、家に帰る途中、喪章の下がった日章旗を表に出している家を何軒か見かけた。
それと人通りがいつもより極端に少ないのを除けば、何事もなかったような静けさ。
しかしテレビは特別編成となり、激動の昭和を振り返る番組が夜になっても続いた。
その途中、当時官房長官だった小渕恵三氏が新元号「平成」を記者会見で発表。
「平成」と書かれた額を掲げる姿は、強烈に印象に残った。
(ある時期まで、小渕氏は「平成おじさん」という別名が世間から付けられていた)
そして、日付が変わろうとする24時。
ニュースキャスターが、
「昭和が、終わります。そして、平成が始まります」
と重々しく告げ、0時を告げる時報チャイム。
昭和とはまた別の意味で激動の時代となる平成は、静かに、厳かに明けた。