心筋梗塞日記(5) 起き上がるのもNGな絶対安静

植野 丈 (吉松真幸)

2017年10月31日 11:31

心臓カテーテルによる処置は無事に終わり、処置室で簡単に病状の説明を受けました。

原因としては、もとから動脈硬化の傾向があり心臓の冠動脈にプラークができて血管が狭まったうえに、冠動脈が強く収縮(攣縮:れんしゅく)して閉塞してしまったと推定される事。

薬物による治療が可能と判断し、ステントと呼ばれる、血管を広げる管を挿入する事は行なわなかった事。
(処置前にはステントを入れる、と説明があった)
なお、薬は一生飲み続けなければならない。

退院まで2週間から4週間必要。

今後は様子を見ながら運動量や仕事量を決め、徐々に増やして日常に復帰していく。

・・・というものでした。

あと、ベッドから起き上がるような軽い動作でも、心臓への負担になってしまいかねないので、許可が出るまで絶対安静、とも言われました。

処置室から病室へも、ベッドに寝かされたまま移動。

廊下に掲げられた時計から、ERに搬送されてから2時間弱の時間が経過していた事を知りました。

病室は、HCU(準集中治療室)。隣がナースステーションになっていて、ベッドの枕元とナースステーションとの間にある窓から、こちらの様子を見る事ができるようになっています。

絶対安静なので、用便については、尿は導尿チューブを装着され、ベッド下のタンクに溜まるようになっていて、大の方についてはナースコールで呼ぶように、という事でした。

真っ裸に紙オムツに毛布だけ掛けられたのはそのままで、心電図、血中酸素濃度計のケーブル、点滴や酸素吸入のチューブに加え導尿チューブまで取り付けられ、身動き取ろうにも取れない状態。

なんとも惨めな気分になり、「ああ、最近は健康診断の結果も良かったのに」と嘆きにも似た思いも出てきましたが、やはり、若い頃の不摂生はその後にどれだけ健康的な生活を送ろうとしても、帳消しにするのは難しい。健康的な生活を送っていても、加齢による影響は避けられず、生活習慣の改善により、若い頃に受けた身体のダメージのさらなる進行を遅らせる事はできても、逆戻りにはできないのだなと悟りもしました。(たぶん重要な事なので強調しておく必要があると思います)

そんな事を考えている間に、外は暗くなり始め、そんな時、ツマがふたりの子供と義弟(ツマの弟)と一緒にお見舞いに来てくれました。

面会は短時間で、当面の衣類や身の回りのものだけ棚に置いて、みんな引き上げました。
(部屋を出てから、主治医から病状と今後の治療計画について説明を受けたそうです)

・・・結局、ムスメ(上の子)はベッドの足もとで陰になって見えず。ただ、ムスメの何か言う声が廊下を遠ざかるのだけが聞こえました。

その直後、夕食。

夕食から、通常の減塩食が認められたので、ちょうど昼食も無しできたため空腹だったので、助かりました。

ベッドを電動で少しずつ上体を起こしてもらい、ベッドの上を渡すように架けられたボードの上の夕食を食べました。

しかし・・・カテーテルを入れた右手首は固定されているし、左手の指には血中酸素濃度計のセンサーが付いているしで、食事には苦労しました。(本当は、言えば介助してもらえたらしいのですが、あえて・・・というかつまらない意地で言いませんでした)

幸いにも先割れスプーンが付いていたので、左手を使って食事をしましたが、空腹だったから以上に、白いご飯が美味しく思えました。

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