小説 遠い夏の日の南薩線(7)

植野 丈 (吉松真幸)

2018年09月02日 15:49

あの時父親が教えてくれた、超早場米の刈り入れの進む田んぼを眺めながら、バスは国道を加世田に向かって南下。
 車窓左手には金峰山、右手には砂丘の松林といった光景も、豊の遠い記憶に重なった。
 しかし、到着した加世田の駅は面影もなかった。

 古い木造駅舎も、細い線路が並んだ構内も、朱色のディーゼルカーも、朽ち果てた廃車体も、煙のように消え失せていた。
 代わりに、ロータリーのあるバスターミナルやバスの車庫、小洒落てはいるけれどもそれなりの築年数を経過しているのが見て分かるバスターミナルの事務所と待合室、そんなものに変わっていた。
 ロータリーには、保存されていた小さな蒸気機関車と華奢なディーゼル機関車が一両ずつ、ポツンと模型のように置かれている。
 蒸気機関車は、あの時、父親の実家に向かう途中で少し寄り道して、駅構内の南の外れの踏切のそばに建っていた木造の機関庫を覗いた時に見えた、あの機関車だろうか。
 ディーゼル機関車は、あの時に豊は見た覚えがないが、別の機関庫にでも入っていたのだろうか。

 そんな事を思いながら、豊はバスターミナルを後にした。

 父親の実家は、あの時を最後に、それ以来一度も行っていないので、30年以上の時を経た記憶はすっかり怪しいものになってしまっている。
 確かこの辺りだと思いながら、おぼろになってしまった記憶をたどり、ところどころで蝉の鳴く路地を往き来する。
 あの時の記憶では、蝉の声さえない、無音の世界だったと思うのだが、時間の経過とともに記憶の中から音声が消失してしまったのだろうか。
 
 流れ落ちる汗を拭いつつ歩くうちに、ようやく見覚えのある門の前にたどり着いた。

 父親の実家は、下級の方ではあるけれども武家がルーツだという。だから、豊の記憶の中でも、堂々とした門構えの屋敷だった。
 しかし、今目の前にある門は、記憶よりも小ぶりで、その向こうにある敷地もとても屋敷とは呼べないくらい、だいぶ小さい。
 豊にとってそれ以上に想定外だったのは、実家が空き家になっていた事だった。

 思わず豊は、門に申し訳程度に渡されたトラロープをくぐり、足を踏み入れた。

 年に一度くらいは手入れがなされているのか、草薮で立ち入りできないというまでの状態にはなっていなかったが、玉砂利の敷き詰められた庭のところどころに背の高い雑草が生え、母屋から離れるにつれその密度を増して、そして母屋にはカズラが取り付こうとしている。
 裏手に回ると、プロパンガスのメーターの下にはボンベが無く、電気メーターは完全に止まっていた。
 伯母一家は、どこへ行ってしまったのだろうか……豊は元から伯母たちに会おうとは思わずにここへ来て、そのまま立ち去ろうと思っていたのだが、しかしそこが空き家になっているのを見るとやはり、不安が増してくるばかりだった。

 何か、自分の大切な拠り所が失われてしまった気分……忘れ物を取りに来たつもりが、そこにあるはずのもっと大切なものが消えて無くなってしまったのを目の当たりにしたような、絶望的な気持ちが彼の心を重くした。

(8)に続く

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