2018年09月02日

小説 遠い夏の日の南薩線(8)

あの時、豊と父親の突然の訪問だったが、伯母はいつものように笑顔で迎えてくれた。

 玄関から上がり込んだ豊と父親を包む、年代を重ねた木材の匂いを含んだ冷たい空気。
 二人はまず、仏壇に線香をあげてから、応接テーブルのある座敷に通された。
 麦茶と茶菓子が出され、父親と伯母は世間話を始めた。
 戸も障子や襖も全て開け放された中を、庭の築山の方から風が静かに通り抜けていく。
 豊が麦茶を飲み終えるのを見て、伯母が奥の部屋にいるらしい、一番下の従姉にあたる佳乃に声をかけた。

「よっちゃん、よっちゃん!ゆっくんと遊んであげて」

返事がなかった。伯母は声を大きくして再び呼びかけた。

「よっちゃん!」
「ええー、勉強してるのに!」

 佳乃の声だけが返ってきた。
 伯母はあきれたように、しかしさらに大声で呼びかけた。

「いいから、少しの間だけ遊んであげて!」
「わかった……ゆっくん、おいで」
「さ、いってらっしゃい」

 伯母に促されて、佳乃の部屋に向かう。
 彼女は、机に向かったまま豊に言った。

「お姉ちゃんね、本当に受験勉強で忙しいから、遊んでられないからね……適当に本棚から取って読んどいて」
「……受験勉強?」
「そう、大学のね」
「大学行くの?」
「そう、大学」うるさそうに答えたが、続けて言った。「本当は京都のあたりの大学に行きたいんだけどね、県外に出るな、って。女の子だし、お兄ちゃん達はみんな県外に出て行っちゃって、誰も残らないし」

 そしてまた参考書に向かったが、すぐにまた豊の方は見ずに顔を上げた。

「だから鹿大だろうけど、せめて熊大、できれば福岡あたりの……」

伯母たちのいる部屋まで聞こえるような声でそれだけ言って、参考書に戻った。
 豊は仕方なく、本棚からあだち充の少女漫画『陽当たり良好!』を抜き出して、読み始めた。
 真空状態のような、静かな午後。

 実際には佳乃がページをめくり鉛筆を走らせる音、扇風機が首を振りながら風を送る音、そして座敷で父親と伯母が声を落として話す声、外からは蝉の声、ひょっとしたら軒先の風鈴の音もあったかもしれない。
 しかしあとで思い返すと、その時の記憶からも、あらゆる音声が抜け落ちてしまっているのだ。
 ひょっとしたら、父親と伯母との会話に耳を塞ぎたかったのかもしれない。実際にはあの時すでに、心を閉ざして外からの音をシャットアウトしていた可能性もある。
 父親と伯母との話の内容について、豊は漫画を読みながらも、薄々気付き始めていたからだ。


(9)へつづく

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Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 16:08│Comments(0)創作
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