2018年09月16日

小説 遠い夏の日の南薩線(終)

 豊は、加世田から伊作峠越えのバスで鹿児島中央駅に向かった。

 整備された国道を、バスは揺れもほとんどなく、ほぼ一定のスピードで走っていく。
 音量を絞ってはいるが、ラジオ放送の音声がエンジンの安定した音の向こうから聞こえてくる。

 停留所ごとに録音された案内が流れるが、乗り降りともにほとんどなく、いくつもの停留所のほとんどを通過する。
 しかし時折停留所に停まっては、一人か二人の乗客が乗っては降りていく。

 豊は座席に浅く腰掛け、背中で座るような姿勢で目を閉じた。

 父親の実家で再会した佳乃とは近況を伝えあった後、彼女の厚意で父方の先祖代々の墓まで車で連れて行ってもらった。

 その途中、いろいろと話をした。

 佳乃は鹿児島大学を卒業し、しばらく信用金庫に勤めた後、県庁勤務の男性と見合結婚したという。
 伯父は七年前に他界し、また伯母は認知症が進み、南さつま市内の施設に入所した。父親の実家が空き家になったのは、その頃らしい。
 たまたま佳乃の夫が加世田にある南薩地域振興局に配属となり、彼女たち家族も一緒に加世田に住んでおり、佳乃は時々家の管理に訪れているという。
 豊から見れば上の従兄にあたる佳乃の兄たちは、皆東京周辺に生活の基盤を持ち、年に一回も帰らず、屋敷を今後どう取り扱うかも未定だと、佳乃は苦笑しながら言った。

 父親の周辺の権利関係がどのようになっていたかは豊の知る由もないが、少なくとも両親が離婚した時点で彼とは関係の無い話になっているはずなので、豊はまさに他人事のようにその話を聞いていた。

 そんな豊に佳乃は、離婚後も父親が彼の事を何かにつけて案じ続けており、亡くなった後に独り住まいのマンションを整理しに入ってみると、机の上には小学五年生の時の豊の写真が、一番目立つ場所に立ててあったと話した。

 それを聞いて、豊は父親からかけられていた愛情を改めて知り、胸の奥底からこみ上げてくるものが涙となるのを我慢できなかった。

 やがて着いた墓の場所は、豊のあやふやな記憶とは異なる場所にあったが、確かに両親が離婚するまでは年に何回か参っていた墓に違いなかった。

 豊は、佳乃と再会できた偶然に感謝した。
 そして父親も眠る墓に線香を上げ、手を合わせてから、加世田駅跡のバスターミナルまで送ってもらったのだった。

 足元からは、バスのエンジンがほぼ一定の回転数で安定して動く振動が伝わってくる。

 まどろみかけながら、豊は思った。
 あの時、家庭の崩壊の危機に直面していた父親は、やがて手放さねばならない息子を連れて南薩線に乗って、遠い昔の幸せな時代の思い出を辿る旅に出たのかもしれない。
 いくら家庭を顧みなかったとは言え、父親にしてみれば、それを失う事は耐え難い苦痛であったに違いない。
 追い込まれた父親は、ひょっとしたら今の豊のように、どこかに忘れてしまっていた大切なものを取り戻そうと思って、あえて昔のように南薩線に乗ったのかもしれない。

 切ない想いも虚しく、父親は忘れ物を取り戻す事もできず、息子とも生き別れになり、家庭の面では失意のうちに生を終えた。
 それでも息子の豊は、父親と離れ離れになってしまう直前に、強烈な思い出を心に焼き付ける事になった。
 その意味では、父親のとった行動も意味の無いものではなかったのかもしれない。

 豊は自問した。

 それに対して、彼は淳に対して、何か精神的な何かを残してやれるだろうか?
 父親の思い出、父親に対する思慕の情を彼に持ってもらう事はできているだろうか?
 豊にとって、父親との小旅行は、どこかぎくしゃくしていた父子関係、あるいは家族関係の中で、ひとつ輝く幸せの象徴のように思われた。

 果たして、今ここで豊たち親どうしが離婚して、残された淳は、豊の事を幸せな記憶の一つの要素として認識して成長してくれるだろうか?

 正直、自信がなかった。

 さらに考えると、家庭というものを信じていなかった豊と違い、妻は幸せな家庭をつくる事を夢見て彼と結婚したに違いない。
 しかし豊はその夢を叶えてやれていない。
 それどころか、彼の勝手な自己中心的な都合で、彼女の人生を狂わせようとしているのではないか?

 そのようにいろいろ考えると、豊の父親は家庭人としては失格だったかもしれないが、豊は家庭人としては、失格どころか罪悪をもたらすに過ぎない存在なのではないか?

 そのような疑問に、豊は戦慄した。
 心が震え、戦慄くのを止められなかった。

 不幸にも、両親の離婚で家族というものを信じられなくなった彼だったが、彼自身が不幸を再生産しようとしている事に思いが至った。

 そして強く思った。
 淳を、家庭の幸せを信じられない人間にしてはならない。
 豊は閉じた瞼から涙が流れそうになるのを堪えながら、これから進むべき道を定めた。

 とりあえず大阪に帰ったら、妻にもう一度やり直したいと申し出る事にした。
 一からでもゼロからでもなく、マイナスからのスタートになるかもしれないが、家族というものを築き直さなければならなかった。

 彼は、父親の墓前で手を合わせられた事、さらに言えばあの時の父親の心に触れる事ができたという思いもあり、そこでひとまず彼自身の気持ちに区切りをつけ、新たな道へ足を踏み出そうと決めた。

(了)

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Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 15:28│Comments(0)創作
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