2018年09月01日

小説 遠い夏の日の南薩線(3)

 銀色の車体に黒い顔面が近未来的な印象さえ与えるJRの電車は、結構なスピードで鹿児島本線を突っ走っていたが、やがて滑らかに減速しながら伊集院の駅に到着した。
 豊の記憶にある伊集院駅の建物はコンクリートむき出しの平屋造りだったが、今は大都市郊外の私鉄駅のような、垢抜けた橋上駅になっている。

 階段を下りて駅前に出ると日差しが強く、バス乗り場のアスファルトの路面からの照り返しも激しく、全身が焼かれてしまいそうだった。
 久々に出会った南九州の太陽の、全てを焼き尽くそうとするかのような強烈さには、正直なところ目眩さえした。
 結婚してからは鹿児島に帰省する事もなくなり、母方の祖父母も鬼籍に入ってしまったので、だいぶ長く経験しなかった、故郷の鹿児島の夏だった。
 大きく変わってしまった伊集院駅に対して、駅前の様子は、三十余年の時を経ても大きく変わっていないように思えた。
 しかし、小学校五年生の時のおぼろげな記憶だ。当てにはならない。
 枕崎行きのバスを待ちながら、豊は深い息を吐いた。それはため息と言うよりも、緊張が解けた安堵の息だった。

 やっと鹿児島に帰ってきた……。

 開業以来初めて乗った九州新幹線は、わずか四時間で新大阪から鹿児島中央まで豊を運んだ。
 それでも思えば思うほど、遠くに来てしまったと感じた。
 感慨深く待つうちに、加世田経由・枕崎行きのバスが来た。

 新幹線の中でネットで調べたところでは、鹿児島市内から加世田に行くには、鹿児島中央駅の近くでレンタカーでも借りて、指宿スカイラインの谷山インターから大坂経由の南薩横断道を行けば、あっという間のはずだった。
 豊と父が加世田に行ったあの当時ですら、鹿児島市内からはマイカーか特急バスに乗った方が時間的にも早く、そして冷房付きで快適だったはずだ。
 しかし父親はなぜか、当時の西鹿児島駅から南薩線のディーゼルカーに豊を伴って乗り込み、加世田に向かった。

 そして今。
 豊もまた、あの遠い夏の日の思い出をなぞるように、今はない南薩線に沿うようなルートを選んだ。


(4)に続く

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Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 15:14│Comments(0)創作
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