2013年06月30日
「南薩鉄道めもりある」URL変更
インターネット草創期、それこそ猫も杓子もお針子さんも、個人のホームページを持つのがブームみたいな時期がありました。
そんな時、ワタクシが開設したホームページ、「南薩鉄道めもりある」。
伊集院と枕崎を結んでいた、鹿児島唯一の私鉄だった南薩線が廃止されて15年も経っていたその当時、南薩線の記憶がどんどん風化していっているのではないかという不安がワタクシにはありました。
小学校5年生の時の自由研究で南薩線を取り上げて以来、南薩線に関する独自研究をしてきたワタクシは、せめてWeb上でその在りしの日の姿を留めておこうと、そのサイトを開設しました。
それ以来、14年。
どうやらワタクシの不安は杞憂であったようで、他にも南薩線をテーマとしたサイトがいくつも開設されたり、南薩線に関する本が出版されたりと、実はワタクシが心配するまでもなく、南薩線は地元の方々や、全国の鉄道ファンの方々にとって忘れようのない存在である事が明らかにされました。
南薩線が廃止されてから来年で30年。
まだまだ多くの人の胸の中で南薩線が生き続けているのは、とても嬉しいです。
ところで。
ワタクシのサイトを開設してから、いろいろな事が変わりました。
ワタクシ個人の公私にわたる環境も、ネットの環境も。
諸般の事情があり、「南薩鉄道めもりある」のサーバーを移転する事になりました。
引越し先は → こちら
どうぞこれからも末永くよろしくお願い申し上げます。

当ブログの目次・新着情報は→コチラ
そんな時、ワタクシが開設したホームページ、「南薩鉄道めもりある」。
伊集院と枕崎を結んでいた、鹿児島唯一の私鉄だった南薩線が廃止されて15年も経っていたその当時、南薩線の記憶がどんどん風化していっているのではないかという不安がワタクシにはありました。
小学校5年生の時の自由研究で南薩線を取り上げて以来、南薩線に関する独自研究をしてきたワタクシは、せめてWeb上でその在りしの日の姿を留めておこうと、そのサイトを開設しました。
それ以来、14年。
どうやらワタクシの不安は杞憂であったようで、他にも南薩線をテーマとしたサイトがいくつも開設されたり、南薩線に関する本が出版されたりと、実はワタクシが心配するまでもなく、南薩線は地元の方々や、全国の鉄道ファンの方々にとって忘れようのない存在である事が明らかにされました。
南薩線が廃止されてから来年で30年。
まだまだ多くの人の胸の中で南薩線が生き続けているのは、とても嬉しいです。
ところで。
ワタクシのサイトを開設してから、いろいろな事が変わりました。
ワタクシ個人の公私にわたる環境も、ネットの環境も。
諸般の事情があり、「南薩鉄道めもりある」のサーバーを移転する事になりました。
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2013年06月13日
田上川を源流部から河口まで歩く
ワタクシは、歩くのが大好きです。
で、この間、休日出勤の代休を取って、歩いてきました。
今回は、タイトルにもあるように、田上川(新川)の源流部から河口まで歩いてみました。
出発は、山形屋バスセンター発、伊集院行きのバス。
国道3号、犬迫を経由して、横井まで。

武岡から伊集院へ向かう街道沿いの、酒屋さんの脇から下りていきます。
田上川は松元の仁田尾あたりが源流なのですが、地図で見ると仁田尾から川までは道らしい道がなさそうなので、こちらからのアプローチを選びました。

途中、横井の埋め立て処分場の間の道を行きます。

萩別府という小さな集落を通り過ぎ・・・

シラスの斜面を切り開いて作られた急な下り坂を抜けて・・・

田植え真っ盛りの盆地のような谷へ。

田上川もこの辺りでは透明で小さいせせらぎ。

川に沿って、谷底の小さい道を下っていきます。
途中、滝の音が聞こえました。

そして、ふたたび棚田の谷に出ました。
ここが、西之谷。

橋のたもとに、ペンキがはがれかけた標柱。
ここが、県が管理する「2級河川」としての「新川」の起点。

川に沿って、のどかな田園風景が続きます。

道ばたには、まきを積んだ小屋があったり。

川もだいぶ大きくなりました。

途中で景色は一変。
西之谷ダムです。

別にカラ梅雨で干上がっているわけではなくて、洪水の時だけ水が貯まる、洪水調節専用ダムなのです。

ダムを前から見ると、底のほうに開いた穴から、川の流れが出てきています。

鹿児島市街と松元を結ぶ県道に出会う頃、このような牧歌的な風景とはお別れです。

池田学園方面から流れてくる支流と合流する辺り。
ワタクシが小学生だったころは、この辺も田んぼが広がっていたのですが・・・。
住宅が建てこんできたり、南九州道の高架が走ったりして、風景はだいぶ変わりました。

高架下は、市内で回収された放置自転車の墓場みたいな様子。

大きめの堰のそばに、今も水神様が。

大峯橋。
30年くらい前まではこの辺りも田んぼで、川に下りてメダカを捕った思い出もあります。
サラヤという、おむすび屋さんの売店が、ロードサイドにあったのも遠い記憶。

どんどん川沿いに歩いていって、昼どきになり、お腹もすいたので、替玉屋でチャーシュー麺。
もちろん、替え玉も。

左は、田上小学校。
ワタクシは、その裏手にあるひばり幼稚園の卒園生です。
ところで。
江戸時代、田上川の中流から下流にかけては、今より北側を流れていたそうです。
それを、鹿児島城下の洪水を防ぐために、途中から南側に新しい川を掘って、それを「新川」としたそうです。
田上川の元の流れは、現在の荒田川だとか。
どこからが新しい川か、調べていないのでわかりませんが、

田上橋のちょっと下流。
周辺を観察してみると、この辺りから地形が何やら不自然になってきます。
川よりも周囲が低い、いわゆる「天井川」のようになり、そして、川の北側に、微妙にくぼんだ地形が並び、そして川から離れていくようにも見えます。
ひょっとしたら、この辺りが新しい人工の川と、もとの田上川との分かれ目かもしれません。

上流の西之谷ダムとセットの形で、洪水を防止するために川幅を広げる工事が続いています。

唐湊まで来ました。
セイカのアイスクリーム工場。
ワタクシは、小学校の社会科見学で来たことがあります。
お土産がアイスではなく、ボンタンアメでがっかりした思い出が・・・。

実は日本有数の綿工場、カクイの本社工場。
全国で「カクイわた」のホーロー看板を見かけます。
化粧用のコットンでは全国のシェア7割を生産しているそうです。

JR指宿枕崎線や市電が川を渡る、その地名も「涙橋」。
江戸時代、この先に処刑場があり、罪人と家族が涙の別れをした事から名付けられたそうです。
また、ここは、西南戦争の戦場のひとつで、石碑がそれを今に伝えています。

谷山・指宿方面への国道と交差すると、川幅が広がってきます。
満潮時には海の水が上ってくるのか、ほんのり磯の香りもします。

しかしこのときは干潮で、船も砂の上で休み中。

そして・・・海に出会いました。
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で、この間、休日出勤の代休を取って、歩いてきました。
今回は、タイトルにもあるように、田上川(新川)の源流部から河口まで歩いてみました。
出発は、山形屋バスセンター発、伊集院行きのバス。
国道3号、犬迫を経由して、横井まで。
武岡から伊集院へ向かう街道沿いの、酒屋さんの脇から下りていきます。
田上川は松元の仁田尾あたりが源流なのですが、地図で見ると仁田尾から川までは道らしい道がなさそうなので、こちらからのアプローチを選びました。
途中、横井の埋め立て処分場の間の道を行きます。
萩別府という小さな集落を通り過ぎ・・・
シラスの斜面を切り開いて作られた急な下り坂を抜けて・・・
田植え真っ盛りの盆地のような谷へ。
田上川もこの辺りでは透明で小さいせせらぎ。
川に沿って、谷底の小さい道を下っていきます。
途中、滝の音が聞こえました。
そして、ふたたび棚田の谷に出ました。
ここが、西之谷。
橋のたもとに、ペンキがはがれかけた標柱。
ここが、県が管理する「2級河川」としての「新川」の起点。
川に沿って、のどかな田園風景が続きます。
道ばたには、まきを積んだ小屋があったり。
川もだいぶ大きくなりました。
途中で景色は一変。
西之谷ダムです。
別にカラ梅雨で干上がっているわけではなくて、洪水の時だけ水が貯まる、洪水調節専用ダムなのです。
ダムを前から見ると、底のほうに開いた穴から、川の流れが出てきています。
鹿児島市街と松元を結ぶ県道に出会う頃、このような牧歌的な風景とはお別れです。
池田学園方面から流れてくる支流と合流する辺り。
ワタクシが小学生だったころは、この辺も田んぼが広がっていたのですが・・・。
住宅が建てこんできたり、南九州道の高架が走ったりして、風景はだいぶ変わりました。
高架下は、市内で回収された放置自転車の墓場みたいな様子。
大きめの堰のそばに、今も水神様が。
大峯橋。
30年くらい前まではこの辺りも田んぼで、川に下りてメダカを捕った思い出もあります。
サラヤという、おむすび屋さんの売店が、ロードサイドにあったのも遠い記憶。
どんどん川沿いに歩いていって、昼どきになり、お腹もすいたので、替玉屋でチャーシュー麺。
もちろん、替え玉も。
左は、田上小学校。
ワタクシは、その裏手にあるひばり幼稚園の卒園生です。
ところで。
江戸時代、田上川の中流から下流にかけては、今より北側を流れていたそうです。
それを、鹿児島城下の洪水を防ぐために、途中から南側に新しい川を掘って、それを「新川」としたそうです。
田上川の元の流れは、現在の荒田川だとか。
どこからが新しい川か、調べていないのでわかりませんが、
田上橋のちょっと下流。
周辺を観察してみると、この辺りから地形が何やら不自然になってきます。
川よりも周囲が低い、いわゆる「天井川」のようになり、そして、川の北側に、微妙にくぼんだ地形が並び、そして川から離れていくようにも見えます。
ひょっとしたら、この辺りが新しい人工の川と、もとの田上川との分かれ目かもしれません。
上流の西之谷ダムとセットの形で、洪水を防止するために川幅を広げる工事が続いています。
唐湊まで来ました。
セイカのアイスクリーム工場。
ワタクシは、小学校の社会科見学で来たことがあります。
お土産がアイスではなく、ボンタンアメでがっかりした思い出が・・・。
実は日本有数の綿工場、カクイの本社工場。
全国で「カクイわた」のホーロー看板を見かけます。
化粧用のコットンでは全国のシェア7割を生産しているそうです。
JR指宿枕崎線や市電が川を渡る、その地名も「涙橋」。
江戸時代、この先に処刑場があり、罪人と家族が涙の別れをした事から名付けられたそうです。
また、ここは、西南戦争の戦場のひとつで、石碑がそれを今に伝えています。
谷山・指宿方面への国道と交差すると、川幅が広がってきます。
満潮時には海の水が上ってくるのか、ほんのり磯の香りもします。
しかしこのときは干潮で、船も砂の上で休み中。
そして・・・海に出会いました。
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