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Posted by チェスト at

2017年11月13日

心筋梗塞日記(14) 仕事に復帰

11月5日まで9日間の自宅療養をしてから、6日の月曜日より職場に復帰しました。

それより前に、2日の木曜日には髪を切りました。

心筋梗塞から回復して、心から生まれ変わった気がしていたのですが、頭は以前のままと言うよりも伸び放題になってしまっていたのです。

思い切って、いわゆるスポーツ刈りにして、さっぱりしました。

5日の日曜日には、ユニクロでバッグを買いました。

今まで使っていたリュックは、もう何年も前に建設作業員をしていた時にナフコで800円くらいで買ったもので、その時がしのげれば良いと思っていたのに、予想外の長寿命となりました。

しかしそれも痛みが目立つようになってきたので、この際に買い換える事にしました。

新しいバッグは、リュックにもショルダーバッグにも手提げにもなる3ウェイバッグで、前から欲しかったものです。

そして、久々の出勤。

職場にはいろいろと負担もかけたので、快気祝いとしてヤナギムラのクッキーも持っていきました。

時間は、以前同様の始発電車。もうその次の電車からは通学生で混雑して座れなくなるし、やはり朝の時間を有効活用したいという思いも以前と変わらずありました。

その代わり、自宅療養中に所長と相談して、当面はほぼ定時で帰れるようにしてもらいました。

やはり、命あってこそのものだから。

そうして1週間、働いてみましたが、心臓の機能が戻っていないだけでなく、頭と身体が慣れていないのもあってか、金曜日には結構しんどい感じがありました。

それも、徐々に慣れていくのでしょう。

というわけで、本日11月13日の月曜日、職場復帰2週目になりました。

なかなかにイレギュラーな案件が立て続いてハードな一日でしたが、先週の月曜日よりは疲れもなくやり通せたと思います。  


Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 18:26Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月09日

心筋梗塞日記(13) 自宅療養しながら自分でリハビリ

10月27日に退院してからは、11月5日までの自宅療養に入りました。

毎日、午前と午後に軽くウォーキング。徐々に距離を伸ばして、最終的には自宅と最寄り駅との間の往復も問題ない事を確かめました。

平日の朝は、出勤するツマと保育園に登園する子供たちを車に乗せて、送っていきました。

昼間は、どうせ時間ができたのだから、買ったままで読んでいない本を一気に読もうと思っていたのですが、入院中に始めたナンクロの雑誌の続きに没頭してしまいました

あ、でも、こうの史代さんの「この世界の片隅に」は読みました。

こうの史代さんの漫画は、「夕凪の街 桜の国」で深い感銘を受けたのですが、今回はさらに深い感動がありました。いずれアニメ版も観てみたいです。

昼食は、冷凍ご飯を解凍して、それからツマが用意してくれたおかずや、前の晩の残り。・・・あ、でも、退院翌日には移動販売のガミネカレーを食べました。鹿児島のカレーでは、ガミネカレーか、中央駅前のサフランがワタクシの一押し、二押しです。

午後は仕事を終えたツマを迎えに行きました。

そして夕方、子供たちが帰ってくると、その遊び相手。これが結構疲れます。

以前だったら、もっと身体を動かすような遊びをしてやっていたのですが、ムスメもワタクシの身体が以前とは違う事を察しているようで、お絵かきやおままごと、絵本の読み聞かせが中心。

ワタクシがずっと家にいるからか、ムスメもムスコもワタクシにべったり甘えきってしまうようになりました。

そして子供たちを抱っこしたり頭を撫でたりしながらまた思うのは、「ああ、生きていてよかった」という事。

特に1歳の長男に対しては、父親のワタクシのカオを覚える前に別れてしまうという事にならずに済んで、もし神様仏様がいるなら、本当に感謝です。  


Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 18:53Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月08日

心筋梗塞日記(12) ここで軽く総括

ワタクシは、自分では心筋梗塞にならないか、なってももっと歳がいってからだと思っていました。

体重が100キロ超だった不健康時代は20年以上も昔の話で、現在は通勤の途中で毎日歩き+自転車の1時間くらいの運動をして、時にはフルマラソンも走って直近の昨年のいぶすき菜の花マラソンでは自己ベストを更新して、健康診断の結果もほぼ問題なしで。

今だけを見れば健康そのものでした。

しかし昔の不摂生によって身体が負ったダメージは、地下に埋められた時限爆弾のように姿を見せずに時を待ち、そしてそれが炸裂して、今回のような生命さえ危ないような状態に陥ったのです。

健康に関しては、今が良くても前科があれば、その進行を遅らせることはできても逆戻りはできないという事を、痛感させられました。

そして今回は、前兆ともいうべき狭心症に似た症状が2か月も前から現れていたのに、日々の忙しさからくる疲れとその蓄積だと思って、放置してしまった事が悔やまれてなりません。

疲れは身体のSOSとは言いますが、まさにそれでした。

今、ACのCMで、息切れがしたら心臓弁膜症を疑って専門医の診断を受けましょう、みたいなのがテレビで流れていますが、それと同じく、動悸や息切れ、胸の痛みや違和感、全身のだるさが続いて、それが休養しても取れない場合も、専門医の診断を受ける事をお勧めします。

それにしても今回は、自分では内科的な症状だと思って内科医院に行ったのですが、そこに循環器科が併設されていた事で、命拾いをしたと思います

というのも、ワタクシの父が、やはり胸の違和感などを感じて内科のクリニックを受診したのですが、簡単な診察の後に胃薬などを処方されて、その1か月後に大きな心臓発作に見舞われて、54歳の若さで突然亡くなってしまった経験があるからです。

今回のワタクシの場合は、問診の時点で「これはおかしい」と気付いてもらえたようで、心電図と心エコーに血液検査まで行なって、その結果をもって大病院へ救急搬送されて、緊急の処置を受けて、助かりました。

心臓がおかしいと思ったら、内科ではなく循環器科が確実です。

そうやって失くすはずの命を失くさずに済んだのですが、薬は一生飲み続けなければなりません。

健康管理、栄養管理にもある程度以上の注意が必要となりました。

運動も、好きだったマラソンや登山はいつ再開できるのか、見通しが立ちません。

そんなワタクシだから、言えます。

若い時から、身体は大切にしなければならない!

症状が若さでカバーできても、年齢を重ねると途端にそれは顕在化する!  

Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 19:04Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月07日

心筋梗塞日記(11) 何はともあれ退院!

心臓へのダメージが予想以上に大きくても、とりあえず安心できる状態になって、入院12日目の10月27日には晴れて退院しました。

ツマが朝のうちに迎えにきてくれて、まずは入院費用を精算してくれました。

費用は10万円弱。

本当はもっとかかるはずのところを、高額医療費制度というものを使って、それくらいに抑えました。

これは、医療費が高額になる場合に、月ごとに設定された限度額内に収まるように、補助を受けられる制度です。

幸いツマがこの制度を知っていたので、入院してすぐに勤務先を通して保険組合への手続きがなされ、退院までに間に合いました。

(もし間に合わなかったら、まずは自分で負担して、後で差額分が支払われます)

ちなみに病院の事務職員の方がこの制度の説明に来てくれたのは、入院から結構日にちが過ぎてからの事でしたから、それから手続きしていたら間に合わなかったかもしれません。

話を戻して。

ツマとワタクシは別室に呼ばれ、現状の病状説明と、退院後の生活についての指導を受けました。

それから、スタッフの方々に見送られるように、退院。

妻が運転するクルマの窓から見える光景が、何もかもが新鮮で、輝いて見えました。

誇張でもなんでもなく。

ひょっとしたらもうこの世にはいなかったかもしれなかった、そんな思いが、そうさせたのでしょう。

帰り道、ツマが以前から行きたかったというカフェで昼食。

山の中の隠れ家みたいなカフェのオープンテラスで、ほぼ2週間ぶりのまともな食事。

病院の食事もなかなかのものだと思っていましたが、やはり天気のいい日に景色のいいところで食べるお店の食事は、感動的なくらいに美味しかったです。

それからさらにワタクシの実家に寄って、帰宅。

その夜は、買ってきたお寿司で夕食。

お酒がないのが残念でなりませんでしたが、そればかりは仕方ありません。

ムスメは、寝る直前まで「お父さん、お父さん」とじゃれついてきました。

とにかく、行きて帰ってきたなと、実感しました。  

Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 18:50Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月06日

心筋梗塞日記(10) 心臓には予想以上のダメージが

リハビリではエアロバイクで結構な負荷をかけても息が上がらず、脈拍も血圧も安定していたので、倒れる前の日常への復帰もあっという間だと自分では思っていました。

しかし、入院10日目、退院の前々日に本格的な負荷試験を行ないました。

心電図、血中酸素濃度だけでなく、血圧や呼吸の状態(酸素と二酸化炭素の量)もリアルタイムで測り、心臓がどれだけの負荷に耐えられるかといった事を総合的に評価します。

リハビリテーションルームではなく、検査室で、呼吸の状態を測るマスクを着けて、エアロバイクを漕ぎます。

エアロバイクは自動的に徐々に負荷が上がるようになっています。

リハビリで60Wの負荷も楽々でしたが、今回の試験でも同様に楽勝気分でペダルを踏みました。

負荷量は、80W、そして100Wへと。

まだまだ息が上がるレベルではありません。

120Wになった段階で、医師から
「どうされますか? まだ続けられそうですか?」
と聞かれたので、(大丈夫です)と合図をしました。

140Wまでくると、心拍数が明らかに上がってきて、160Wをしばらく続けた時点で終了となりました。

ワタクシとしては、160Wのままだったらもっと長時間ペダルを踏めるくらいの感覚でした。

心拍数は上がっても呼吸は楽にできましたし、やはりマラソンで鍛えているだけはあると、そう思っていました。

後で知ったのですが、フィットネスクラブなどでのエアロバイクの負荷は標準で120Wくらいだとか。

しかし・・・後で医師からデータで示された結果は、そんなワタクシの楽観的な見通しを打ち砕くものでした。

いや、マジでショックでした。

結局、心筋梗塞によって心筋が大きなダメージを受けていて、心臓全体の機能もかなり損なわれていると。

有酸素運動から無酸素運動に切り替わる境目が、現状では40Wあたりだと。

40Wと言えば、ワタクシにとっては「えっ、負荷がかかっているの?」という体感なのですが、結局はそのレベルまで心肺機能が落ちてしまっているという事です。

運動の上限は、5メッツ。

これは、ソフトボール、子供のドッヂボール、子供と遊ぶ(ややきつい程度)、荷物を持って階段を下る、に相当するようです。

ちなみに、ウォーキングが3.8メッツ、10分以下のジョギングが6.0メッツらしいです。

それを超える運動は、現時点では控えるように、と。

それほどまでに心臓がダメージを受けていたとは、正直ショックでした。

指宿なのはなマラソンも、来年は子育てとの関係もありパスするにしても、再来年は復帰しようと思っていたのですが、それもどうなるか分からなくなってきました。

40歳過ぎでいくらデータ上は健康でも、20歳ごろの不摂生が後から、こうして効いてきているという辛い現実と、向き合わされる事となりました。

そして翌日、最終日のリハビリでは、エアロバイクの負荷は40Wまで落とされてしまいました。

トホホ〜・・・としか言いようがないです。  

Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 19:11Comments(0)

2017年11月05日

心筋梗塞日記(10) ドラゴンボールを手に入れた?

心臓リハビリは、運動中の心電図や血中酸素濃度、運動前後の血圧や心拍数の変化を見ながら、徐々に負荷を上げていきます。

初めは病棟の廊下を往復するだけだったのですが、入院7日目の10月22日から、エアロバイク(自転車漕ぎ)が始まりました。

初日と翌日は、20Wの負荷で20分を午前と午後の計2回。

しかし心電図は乱れず、運動前後の血圧も心拍数も特に上昇はしませんでした。

日頃から運動していて、フルマラソンも走っている実力が、そんなところにも現れたと、ワタクシは内心、ほくそ笑んでいました。

・・・後でそれは儚い幻想であったと、現実を突きつけられる事になりましたが。

とにかく、まだまだ負荷はかけられるとリハさんも判断して、3日目(10月24日)の午前中には40Wの30分に、午後には60Wの30分に、負荷は段階的に増やされていきました。

それにしても、リハビリテーション室の中で、窓の外を向いているわけでもないバイクを漕ぎ続けるのも、結構退屈でした。

近い将来には、バーチャル・リアリティで、風景の変化を楽しみながら自転車漕げるんだろうかな、などと思ったりしました。

退屈である事を何の気なしに口にすると、リハさんがリハビリ室に備え付けの「ドラゴンボール」の単行本を持ってきてくれました。

「これを読みながらでもいいですよ」と。

実はワタクシ、昭和48年生まれという世代なのに、「ドラゴンボール」をほとんど読んだ事がありませんでした。

ワタクシのイモウトは結構読んでいて、アニメも録画していたくらいなのですがね。

それには訳があって、早い話が食わず嫌いの一種なのです。

「ドラゴンボール」の前の「Dr. スランプ アラレちゃん」がワタクシにとってあまりに面白すぎて、その後の「ドラゴンボール」が、(連載当初は)テンポが悪く、面白さも感じられず、結局ワタクシ自身が自分から遠ざけ続けてきた訳なのです。

で、30年遅れで「ドラゴンボール」をマトモに読んでみたのですが・・・

・・・いやぁ、面白かったです!

やっぱり鳥山明は天才だと思わざるを得なかったですし、「ドラゴンボール」のいまだに続く人気も納得でした。

危うく「ドラゴンボール」の面白さを知らずに死んじゃうところでしたが、不思議な縁で出会えて良かったです。

そうして、退院までに5巻まで、自転車漕ぎながら読んでしまいました。

リハビリ最終日までの5日間にペダルを漕いだ負荷量は、距離に換算すると36.6km、東海道五十三次で言えば日本橋から戸塚の手前くらいだという事でした。

25日に、心臓がどれだけの負荷に耐えられるかの試験を受けるまでは、そんな感じでリハビリを楽しんでいました。  

Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 15:45Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月04日

心筋梗塞日記(9) 売店でパズル雑誌をゲットした

入院5日目の10月20日に、ツマから家に溜まっていた4日分の新聞を差し入れてもらいましたが、新聞に載っているパズル問題を解くのも、いい暇つぶしになりました。

しかしそれもあっという間に解いてしまいました。

新聞記事もその日のうちに読み終わってしまい、再び暇を持て余すようになりました。

しかし翌日、10月21日、病院の建物内であれば自由に行動しても良いと許可が出ました。

しかし、階段の使用は禁止、長時間の移動も禁止という条件つきでしたが。

もう早速、売店に行き、パズル雑誌を買いました。

本当は、数独のような数字を入れるパズルが欲しかったのですが、ついうっかり、クロスワードの変形版とも言えるナンクロの雑誌を買ってしまいましたが・・・。

けれども他に何もする事のない入院生活のこと、のめり込んでしまい、退院するまでの1週間あまりの間に、一冊の半分超は解き切ってしまいました。

ちなみにこのパズル雑誌、懸賞が付いていて、正解者の中から抽選で家電製品や雑貨などが当たるようになっています。

心筋梗塞という不運に見舞われたから、その埋め合わせをするように運命の力が働いて、当たったり・・・しないでしょうね。  

Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 23:41Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月03日

心筋梗塞日記(8) 動画で4歳の娘を泣かしてしまった

ツマガ面会に来る前日の10月19日木曜日、夕食後に談話室に行き、動画を自撮りしました。

内容は、4歳のムスメと1歳のムスコに、
「元気してる〜? お父さんまだまだ入院するけど、お母さんの言う事をちゃんと聞いて、いい子で待っててね〜」
と呼びかけるもの。

しかし正直、このビデオメッセージがどれだけふたりの心に届くかはついては、いささか懐疑的でした。

まず、小さすぎるムスコには、おそらくワタクシが入院したという事実さえ理解できていないでしょうし。

そして最近は親の言う事も周りの状況も理解できるようになっているムスメも、どうなんだろう? と。

ムスメにとっては、ワタクシはよく怒る怖い存在のようなのです。

ワタクシだって怒りたくて怒っているのではないのですがね・・・でも、放っておくと将来のためにならないであろう事や、命や身の安全に関わる事は、その都度叱らなければならないというポリシーでやっているのです。

もちろん、叩くとか汚い言葉で罵るとかはせず、しかしその代わり、可能な限り強い口調で「メッ!」とか「コラ!」とか言って、じっと目を見つめるようにしています。
(こちらの方がいちばん効果的なようです ※個人の感想です)

とにかく、うるさく怒る人間がいなくて、せいせいしていると言うか、のびのびした気分になっているのではないかと思われたのです。

しかしそれは、全くの思い違いでした。

ムスメはツマのスマホでビデオメッセージを見て、最初はテレビ電話が繋がっていると思って、画面のワタクシに「お父さん」と呼びかけて、、しかも「お父さん、いつ帰ってくるの?」と尋ねたらしいです。

けれどもビデオだと分かると、泣き出してしまったとか・・・。

その話を聞いて、ついついワタクシも涙ぐんでしまいました。

ついでに言うと、その後もムスメは毎晩、寝る前に「お父さんまだ帰ってこないの? いつ帰ってくるの?」
とツマに泣きながら聞いてきたのだそうです。

ひょっとしたら死んでいたかもしれないワタクシでしたが、死なずにいて良かったと思えた事のひとつでした。  


Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 15:55Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月01日

心筋梗塞日記(7) そう~っと心臓リハビリ開始

入院2日目の夕食後、早くも病室が変わりました。

急性期病棟なのは変わりはないのですが、HCUから普通の病室に変更。

それはHCUを少しでも空けておくためという事にはなっていましたが、看護師さんからの説明ではHCUにいる人の中でも特に状態のよい人から出て行ってもらっている・・・という事で、つまりはワタクシは自分が思っている以上に快方に向かっているのではないかという期待が持ててきました。

実際、いったんは起こった冠動脈の閉塞が幸運にも少し緩和されてわずかずつでも心臓への血流が確保された事と、処置が早かった事で心臓へのダメージが最小限に抑えられたとの事でした。

あと、これはワタクシの素人考えですが、日ごろから運動して心肺を鍛えていた事も、早い回復につながっているのではないかとも思いました。しかしあながち外れてもいないでしょう。

起き上がってベッドサイドに腰掛ける程度の運動も許可されて、入院期間も2週間かそれ以内に短くなりそうだという見通しも、ワタクシにとっては光明に思えました。

心電図と血中酸素濃度計の装置も、ポケットに入るポータブルに変わりました。聞けば、ナースステーションに電波を飛ばしてデータを送り、そこで集中的に監視をしているそうです。

それはそうと、スマホの充電器を持ってきてもらって電源問題は解決しましたが、パケットの制限問題に気が付きました。

ワタクシは通勤途中や外出先など、Wi-Fi環境にない場所ではゲームもしないし動画も見ないので、データ通信の上限を2GBのコースにしていたのですが、気が付けばたった2日間でデータ通信容量の上限に一気に迫っていました。

病室が変わり、テレビも20時間1,000円のテレビカードでなければ見られなくなってしまい、どうやって暇をつぶすかについて真剣に悩み始めました。

10月18日、入院3日目。

病棟内の同一フロアに限るという条件付きで歩行の許可が下り、やっとトイレの自由を得ました。点滴ハンガーも一緒に転がして行かないといけないという制限はありましたが。

同時に心臓リハビリが始まりました。

初日は、病棟の廊下(片道60m)をゆっくり一往復するとことから始めました。

運動前後の心拍数や血圧の変化を見て、どこまで心臓が運動負荷に耐えられるかを手探りで見ていきながら、毎日少しずつ負荷を上げていく、との事でした。

リハさんと呼ばれる療法士さん付き添いのもと、点滴ハンガーをコロコロ引きながら、廊下を往復。そのようなリハビリが、午前と午後の1日2回。

10月19日、入院4日目。

運動による血圧と心拍数の変化を見て、廊下の往復回数が2往復に増えました。

点滴も外れて、自由度がさらに大きくなった気分になりました。

しかし移動は病棟内に限られ、売店に暇つぶしの何かを買いに行く事はまだできません。

テレビカードの残量と、スマホのデータ通信量の残量とにらめっこしながら、何もせずにベッドで横になっているしかないのは、本当にしんどい。

10月20日、入院5日目。

急性期病棟から、包括病棟と呼ばれる、退院準備に向けた病棟へ移動。

リハビリも病棟の廊下を4往復になりましたが、行動制限は相変わらず。

ツマが仕事の休みを取って面会に来てくれたので、家に溜まっていた新聞を4日分、持ってきてもらい、それでそれから後の退屈が少しは紛れました。

また、栄養指導をツマと一緒に受けました。  


Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 13:42Comments(0)心筋梗塞日記

2017年11月01日

心筋梗塞日記(6) 病院の朝食で「ああ生きているな」と実感

救急搬送され、緊急に心臓カテーテルの処置を受け、当然の事ながらそのまま入院となりました。

しかし、それにしても、ただでさえ絶対安静なのに、いろんなケーブルやチューブに巻きつかれ、物理的にも身動き取れない状態。

病院のベッドのマットレスはフカフカ過ぎて、仰向けになった時の背骨の上下方向への曲がり方が不自然になるのか、腰や首がだんだん痛くなってきました。

それに、定期的に看護師さんの巡回があり、心電図や血中酸素、点滴のチェックや、カテーテルを入れた手首の止血バンドを緩めたりなどしたので、なかなか眠れませんでした。

眠れても浅い眠りのまま、朝の6時。

病棟全体が活動を始めたようで、看護師さんたちが一斉に朝の巡回に各病室を回るなど、にぎやかになってきました。

そして、朝の7時に朝食。

前の晩に、クリップ式になっている血中酸素濃度計のセンサーがたまたま指から外れて、それは自分で気が付いて付け直したのですが、その時に警報が鳴らなかったので、それは一時的になら外しても大丈夫なんだなと判断。

朝食の間だけセンサーを外し、左手で先割れスプーンを使って食事ができました。

病院の食事で、しかも減塩食なので町の定食屋さんのおかずと比べたら味気ない事この上なかったのですが、しかし白いご飯は相変わらず美味しく炊けていて、一口一口噛みしめながら食べていると、
「ああ、生きているな~死なずに済んでよかったな~」
と、初めて実感が持てました。

そして、私の心臓の状態について、病院に搬送される前に1回以上は心臓に血液を送る冠動脈が完全に閉塞した可能性があり、普通だったらそのまま心臓が停まっていたかもしれないけど、運よく閉じた血管が少しだけ開いて、わずかずつでも血液が送られていた・・・と説明を受けていたのを思い出して、ゾッとしました。

ご飯を食べながら、生きている実感を強く感じ、同時に死への恐怖が湧き起こってきたのです。

前日、処置の前に、まるで死への恐怖を感じなかったのとは、全く異なる心の変化でした。

入院2日目は、午前中にさまざまな検査をベッドに横になったまま行ない、看護師さんに身体の清拭もしてもらってサッパリしました。

清拭してもらうついでに導尿チューブも外され、紙オムツも外され、普通の下着と病院のパジャマに着替えさせてもらいました。

それでも絶対安静は継続で、導尿チューブ以外のケーブルやチューブに巻きつかれた状態は変わらず、小用は尿器(いわゆるシビン)で、大はその時になったらナースコールで呼んで来てもらう、というのには変わりはありませんでしたが、しかし日常への復帰に向けて心理的には大きく前進したような気分になりました。

昼にハハオヤとイモウトが見舞いに来てくれ、ツマから託されたスマホの充電器を受け取りました。

スマホは病室内では一応許可(あるいは黙認?)されており、眠れないのを紛らせようと、不自由な手でスマホを度々いじっていたら、電池残量が瞬く間に減っていっていたところだったので、充電器の差し入れは助かりました。

午後には暇をもてあます状態になったので、スマホやテレビをずっと見ていました。

HCU(準集中治療室)ではテレビは無料で、テレビモニターはベッドに寝た状態でちょうど良い角度になるように天井から吊下げられているので、楽でした。

テレビのワイドショーは、衆院選の話題、事件、芸能ネタ・・・芸能ネタは倒れる前から興味がなかったのがますますどうでもよくなっていましたが、なんとなく見ていました。

・・・暇で暇で仕方がなかったから。

しかしふと、もし自分が死んでしまっていても、こんなふうに世の中は流れていくんだな~と、なんとなく思いました。  


Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 12:59Comments(0)心筋梗塞日記