2018年09月01日

小説 遠い夏の日の南薩線(5)

父親との思い出を頭の中で追いながら、豊はバスに揺られていた。
 伊集院駅前を出るとすぐに町を抜け、飯牟礼峠を越える道へ。
 あの時とほぼ同じ時間帯のはずなのに、乗客は数名ほどしか乗っていない。
 顔見知りなのか、たまたま乗り合わせたのか、年配の乗客たちがおしゃべりする声が飛び交っていたあの時と違って、今はひとりひとり距離を置くように椅子に座り、無口なまま揃って前を向くだけ。
窓の外には、相変わらず眩い夏の光と、緑を通り越して黒いまでに濃い南九州の森。あの時と違うのは、放棄されて荒れ果てた田んぼの多い事。

 車窓をぼんやりと眺めていた豊のポケットの中で、スマホが振動した。
 妻からのラインの着信。

「いまどこ?」

 家を出てから何の連絡もしていなかった。
 返事を送った。

「鹿児島」

 すぐに「既読」の表示が出たが、しばらく待っても返事がなかった。
 無理もなかろう、戸惑っているな……豊は自分だけの秘密を隠し持っているような、気まずさを覚えた。
 バスが日置の町を過ぎたあたりで、再び妻からの着信。

「うちは純と科学館」

 純は、あの時の彼と同じ小学五年生だ。妻よりも彼に懐いているが、大好きな科学館に連れて行ってもらっていると分かり、安心した。
 一人で家を出るにあたり、淳の事だけは気がかりだったのだ。豊は返信した。

「楽しんでる?」

 これもすぐに「既読」になったが、また返信がなかった。
 楽しんでいないのだろうか……かすかに不安を覚えて追加で送信しようとした時に、返信。

「帰ってくる?」
 重ねてもう一回。
「淳やっぱりお父さんがいいって」

 すぐに返信した。

「今日帰れたら帰る。帰れなかったら明日の始発で帰る」

 すぐに返信があった。うさぎのキャラクターがホッと安心するイラストのスタンプ。
 妻は、豊がもう帰らないと心配していたのだろうか。
 それも無理はない。
 しかし本当のところは、一体どうしたいのか自分でもわからないまま、鹿児島に……加世田に向かっているのだった。

 どうしたら良いのか……結局どうしたいのか……答えを探そうとぼんやりと考えるうちに、バスは永吉川を渡った。
 きらめく川面の中に、南薩線の橋脚だった石積みが並び、その向こうの夏雲の下には、青い東シナ海。
 美しい光景だと思った。
 淳に、この光景を見せてやりたいとも思った。
 そして、もし自分たちが離婚したら、淳は彼と妻、どちらに引き取られるのだろうかという懸念が、心のうちに湧き上がってきた。


(6)に続く

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Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 16:01│Comments(0)創作
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