2018年09月16日
小説 遠い夏の日の南薩線(終)
豊は、加世田から伊作峠越えのバスで鹿児島中央駅に向かった。
整備された国道を、バスは揺れもほとんどなく、ほぼ一定のスピードで走っていく。
音量を絞ってはいるが、ラジオ放送の音声がエンジンの安定した音の向こうから聞こえてくる。
停留所ごとに録音された案内が流れるが、乗り降りともにほとんどなく、いくつもの停留所のほとんどを通過する。
しかし時折停留所に停まっては、一人か二人の乗客が乗っては降りていく。
豊は座席に浅く腰掛け、背中で座るような姿勢で目を閉じた。
父親の実家で再会した佳乃とは近況を伝えあった後、彼女の厚意で父方の先祖代々の墓まで車で連れて行ってもらった。
その途中、いろいろと話をした。
佳乃は鹿児島大学を卒業し、しばらく信用金庫に勤めた後、県庁勤務の男性と見合結婚したという。
伯父は七年前に他界し、また伯母は認知症が進み、南さつま市内の施設に入所した。父親の実家が空き家になったのは、その頃らしい。
たまたま佳乃の夫が加世田にある南薩地域振興局に配属となり、彼女たち家族も一緒に加世田に住んでおり、佳乃は時々家の管理に訪れているという。
豊から見れば上の従兄にあたる佳乃の兄たちは、皆東京周辺に生活の基盤を持ち、年に一回も帰らず、屋敷を今後どう取り扱うかも未定だと、佳乃は苦笑しながら言った。
父親の周辺の権利関係がどのようになっていたかは豊の知る由もないが、少なくとも両親が離婚した時点で彼とは関係の無い話になっているはずなので、豊はまさに他人事のようにその話を聞いていた。
そんな豊に佳乃は、離婚後も父親が彼の事を何かにつけて案じ続けており、亡くなった後に独り住まいのマンションを整理しに入ってみると、机の上には小学五年生の時の豊の写真が、一番目立つ場所に立ててあったと話した。
それを聞いて、豊は父親からかけられていた愛情を改めて知り、胸の奥底からこみ上げてくるものが涙となるのを我慢できなかった。
やがて着いた墓の場所は、豊のあやふやな記憶とは異なる場所にあったが、確かに両親が離婚するまでは年に何回か参っていた墓に違いなかった。
豊は、佳乃と再会できた偶然に感謝した。
そして父親も眠る墓に線香を上げ、手を合わせてから、加世田駅跡のバスターミナルまで送ってもらったのだった。
足元からは、バスのエンジンがほぼ一定の回転数で安定して動く振動が伝わってくる。
まどろみかけながら、豊は思った。
あの時、家庭の崩壊の危機に直面していた父親は、やがて手放さねばならない息子を連れて南薩線に乗って、遠い昔の幸せな時代の思い出を辿る旅に出たのかもしれない。
いくら家庭を顧みなかったとは言え、父親にしてみれば、それを失う事は耐え難い苦痛であったに違いない。
追い込まれた父親は、ひょっとしたら今の豊のように、どこかに忘れてしまっていた大切なものを取り戻そうと思って、あえて昔のように南薩線に乗ったのかもしれない。
切ない想いも虚しく、父親は忘れ物を取り戻す事もできず、息子とも生き別れになり、家庭の面では失意のうちに生を終えた。
それでも息子の豊は、父親と離れ離れになってしまう直前に、強烈な思い出を心に焼き付ける事になった。
その意味では、父親のとった行動も意味の無いものではなかったのかもしれない。
豊は自問した。
それに対して、彼は淳に対して、何か精神的な何かを残してやれるだろうか?
父親の思い出、父親に対する思慕の情を彼に持ってもらう事はできているだろうか?
豊にとって、父親との小旅行は、どこかぎくしゃくしていた父子関係、あるいは家族関係の中で、ひとつ輝く幸せの象徴のように思われた。
果たして、今ここで豊たち親どうしが離婚して、残された淳は、豊の事を幸せな記憶の一つの要素として認識して成長してくれるだろうか?
正直、自信がなかった。
さらに考えると、家庭というものを信じていなかった豊と違い、妻は幸せな家庭をつくる事を夢見て彼と結婚したに違いない。
しかし豊はその夢を叶えてやれていない。
それどころか、彼の勝手な自己中心的な都合で、彼女の人生を狂わせようとしているのではないか?
そのようにいろいろ考えると、豊の父親は家庭人としては失格だったかもしれないが、豊は家庭人としては、失格どころか罪悪をもたらすに過ぎない存在なのではないか?
そのような疑問に、豊は戦慄した。
心が震え、戦慄くのを止められなかった。
不幸にも、両親の離婚で家族というものを信じられなくなった彼だったが、彼自身が不幸を再生産しようとしている事に思いが至った。
そして強く思った。
淳を、家庭の幸せを信じられない人間にしてはならない。
豊は閉じた瞼から涙が流れそうになるのを堪えながら、これから進むべき道を定めた。
とりあえず大阪に帰ったら、妻にもう一度やり直したいと申し出る事にした。
一からでもゼロからでもなく、マイナスからのスタートになるかもしれないが、家族というものを築き直さなければならなかった。
彼は、父親の墓前で手を合わせられた事、さらに言えばあの時の父親の心に触れる事ができたという思いもあり、そこでひとまず彼自身の気持ちに区切りをつけ、新たな道へ足を踏み出そうと決めた。
(了)
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整備された国道を、バスは揺れもほとんどなく、ほぼ一定のスピードで走っていく。
音量を絞ってはいるが、ラジオ放送の音声がエンジンの安定した音の向こうから聞こえてくる。
停留所ごとに録音された案内が流れるが、乗り降りともにほとんどなく、いくつもの停留所のほとんどを通過する。
しかし時折停留所に停まっては、一人か二人の乗客が乗っては降りていく。
豊は座席に浅く腰掛け、背中で座るような姿勢で目を閉じた。
父親の実家で再会した佳乃とは近況を伝えあった後、彼女の厚意で父方の先祖代々の墓まで車で連れて行ってもらった。
その途中、いろいろと話をした。
佳乃は鹿児島大学を卒業し、しばらく信用金庫に勤めた後、県庁勤務の男性と見合結婚したという。
伯父は七年前に他界し、また伯母は認知症が進み、南さつま市内の施設に入所した。父親の実家が空き家になったのは、その頃らしい。
たまたま佳乃の夫が加世田にある南薩地域振興局に配属となり、彼女たち家族も一緒に加世田に住んでおり、佳乃は時々家の管理に訪れているという。
豊から見れば上の従兄にあたる佳乃の兄たちは、皆東京周辺に生活の基盤を持ち、年に一回も帰らず、屋敷を今後どう取り扱うかも未定だと、佳乃は苦笑しながら言った。
父親の周辺の権利関係がどのようになっていたかは豊の知る由もないが、少なくとも両親が離婚した時点で彼とは関係の無い話になっているはずなので、豊はまさに他人事のようにその話を聞いていた。
そんな豊に佳乃は、離婚後も父親が彼の事を何かにつけて案じ続けており、亡くなった後に独り住まいのマンションを整理しに入ってみると、机の上には小学五年生の時の豊の写真が、一番目立つ場所に立ててあったと話した。
それを聞いて、豊は父親からかけられていた愛情を改めて知り、胸の奥底からこみ上げてくるものが涙となるのを我慢できなかった。
やがて着いた墓の場所は、豊のあやふやな記憶とは異なる場所にあったが、確かに両親が離婚するまでは年に何回か参っていた墓に違いなかった。
豊は、佳乃と再会できた偶然に感謝した。
そして父親も眠る墓に線香を上げ、手を合わせてから、加世田駅跡のバスターミナルまで送ってもらったのだった。
足元からは、バスのエンジンがほぼ一定の回転数で安定して動く振動が伝わってくる。
まどろみかけながら、豊は思った。
あの時、家庭の崩壊の危機に直面していた父親は、やがて手放さねばならない息子を連れて南薩線に乗って、遠い昔の幸せな時代の思い出を辿る旅に出たのかもしれない。
いくら家庭を顧みなかったとは言え、父親にしてみれば、それを失う事は耐え難い苦痛であったに違いない。
追い込まれた父親は、ひょっとしたら今の豊のように、どこかに忘れてしまっていた大切なものを取り戻そうと思って、あえて昔のように南薩線に乗ったのかもしれない。
切ない想いも虚しく、父親は忘れ物を取り戻す事もできず、息子とも生き別れになり、家庭の面では失意のうちに生を終えた。
それでも息子の豊は、父親と離れ離れになってしまう直前に、強烈な思い出を心に焼き付ける事になった。
その意味では、父親のとった行動も意味の無いものではなかったのかもしれない。
豊は自問した。
それに対して、彼は淳に対して、何か精神的な何かを残してやれるだろうか?
父親の思い出、父親に対する思慕の情を彼に持ってもらう事はできているだろうか?
豊にとって、父親との小旅行は、どこかぎくしゃくしていた父子関係、あるいは家族関係の中で、ひとつ輝く幸せの象徴のように思われた。
果たして、今ここで豊たち親どうしが離婚して、残された淳は、豊の事を幸せな記憶の一つの要素として認識して成長してくれるだろうか?
正直、自信がなかった。
さらに考えると、家庭というものを信じていなかった豊と違い、妻は幸せな家庭をつくる事を夢見て彼と結婚したに違いない。
しかし豊はその夢を叶えてやれていない。
それどころか、彼の勝手な自己中心的な都合で、彼女の人生を狂わせようとしているのではないか?
そのようにいろいろ考えると、豊の父親は家庭人としては失格だったかもしれないが、豊は家庭人としては、失格どころか罪悪をもたらすに過ぎない存在なのではないか?
そのような疑問に、豊は戦慄した。
心が震え、戦慄くのを止められなかった。
不幸にも、両親の離婚で家族というものを信じられなくなった彼だったが、彼自身が不幸を再生産しようとしている事に思いが至った。
そして強く思った。
淳を、家庭の幸せを信じられない人間にしてはならない。
豊は閉じた瞼から涙が流れそうになるのを堪えながら、これから進むべき道を定めた。
とりあえず大阪に帰ったら、妻にもう一度やり直したいと申し出る事にした。
一からでもゼロからでもなく、マイナスからのスタートになるかもしれないが、家族というものを築き直さなければならなかった。
彼は、父親の墓前で手を合わせられた事、さらに言えばあの時の父親の心に触れる事ができたという思いもあり、そこでひとまず彼自身の気持ちに区切りをつけ、新たな道へ足を踏み出そうと決めた。
(了)
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2018年09月16日
小説 遠い夏の日の南薩線(10)
あの日、豊と父親は夕方の五時前に加世田駅に戻ってきた。
改札口の上に掲げられた時刻表を見ると、あと三十分ほどで伊集院行きの列車が出るはずだった。
しかし鉄道の出札口には誰もおらず、隣のバスの出札口だけが、時々現れる客の対応のために駅員が現れるのみ。
豊は、改札口の柵に手を付きながら、静かな駅構内を眺め渡した。
強烈な西日が改札口から待合室へと差し込んでいた。改札口の白いペンキの柵の周りには、改札鋏からこぼれ落ちた切符の白い欠片が散らばり、光を受けている。
構内には、エンジンを止めて、眠ったように休む、何両かの朱色のディーゼルカー。
やがて、出札口に駅員が現れ、切符を売り始めた。それからまたしばらくして、別の駅員が改札口に立った。
「改札を始めます」
その声に応じて改札口を通ったのは、豊たちを含め六人だけ。
ホームで列車を待つ間、昼過ぎに加世田に着いた時に豊を驚かせた客車や貨車の廃車体を間近に、じっくり見た。
昔現役だった頃は、ペンキを塗られて油を注され、大勢の乗客や貨物を乗せて、大きい空の下を走っていたであろう車両たち。
それが風雨に曝され、木造部分のペンキは剥げて朽ち果て、鉄製部分は錆にまみれ、白骨かミイラになった屍のように、西日を受けてただ側線に停まっている。
ホームを挟んで反対側には、十メートルにも満たない長さの小さな車両が、これも全身赤錆び、窓ガラスもほとんど割れた姿で夏草に埋もれている。
父親は言った。
「父さんが子供の頃、南薩線には、万世や知覧に行く支線もあったんだ。そこを走っていた車両だ」
ただ茫然と眺めていると、伊集院の方角から警笛の音が小さく聞こえてきた。
やがて、流線型の朱色のディーゼルカーが線路の向こうに現れ、頻繁に警笛を鳴らしながら、そして車輪がレールにぶつかる音をけたたましくたてながら近付いてきて、激しく軋む音とともにホームに停車した。
降りてくる客も数えるほどで、豊たちが乗り込むと、すぐに伊集院に向けて発車。
帰りの様子を、豊はよく覚えていない。
ただ、超早場米の田んぼが西日を受けて金色に輝いていた事、松林の中が暗かった事は妙に印象に残っている。
そして父親は、いつもの気難しい顔でもなく、加世田に着くまでの柔和な顔でもなく、ただただ無表情に眠るでもなく目を閉じて、列車の揺れに身を委ねて、そして日置に着くまで煙草を一本も吸わなかった。
→(11・最終章)へつづく
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改札口の上に掲げられた時刻表を見ると、あと三十分ほどで伊集院行きの列車が出るはずだった。
しかし鉄道の出札口には誰もおらず、隣のバスの出札口だけが、時々現れる客の対応のために駅員が現れるのみ。
豊は、改札口の柵に手を付きながら、静かな駅構内を眺め渡した。
強烈な西日が改札口から待合室へと差し込んでいた。改札口の白いペンキの柵の周りには、改札鋏からこぼれ落ちた切符の白い欠片が散らばり、光を受けている。
構内には、エンジンを止めて、眠ったように休む、何両かの朱色のディーゼルカー。
やがて、出札口に駅員が現れ、切符を売り始めた。それからまたしばらくして、別の駅員が改札口に立った。
「改札を始めます」
その声に応じて改札口を通ったのは、豊たちを含め六人だけ。
ホームで列車を待つ間、昼過ぎに加世田に着いた時に豊を驚かせた客車や貨車の廃車体を間近に、じっくり見た。
昔現役だった頃は、ペンキを塗られて油を注され、大勢の乗客や貨物を乗せて、大きい空の下を走っていたであろう車両たち。
それが風雨に曝され、木造部分のペンキは剥げて朽ち果て、鉄製部分は錆にまみれ、白骨かミイラになった屍のように、西日を受けてただ側線に停まっている。
ホームを挟んで反対側には、十メートルにも満たない長さの小さな車両が、これも全身赤錆び、窓ガラスもほとんど割れた姿で夏草に埋もれている。
父親は言った。
「父さんが子供の頃、南薩線には、万世や知覧に行く支線もあったんだ。そこを走っていた車両だ」
ただ茫然と眺めていると、伊集院の方角から警笛の音が小さく聞こえてきた。
やがて、流線型の朱色のディーゼルカーが線路の向こうに現れ、頻繁に警笛を鳴らしながら、そして車輪がレールにぶつかる音をけたたましくたてながら近付いてきて、激しく軋む音とともにホームに停車した。
降りてくる客も数えるほどで、豊たちが乗り込むと、すぐに伊集院に向けて発車。
帰りの様子を、豊はよく覚えていない。
ただ、超早場米の田んぼが西日を受けて金色に輝いていた事、松林の中が暗かった事は妙に印象に残っている。
そして父親は、いつもの気難しい顔でもなく、加世田に着くまでの柔和な顔でもなく、ただただ無表情に眠るでもなく目を閉じて、列車の揺れに身を委ねて、そして日置に着くまで煙草を一本も吸わなかった。
→(11・最終章)へつづく
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2018年09月16日
小説 遠い夏の日の南薩線(9)
何匹もしつこく寄ってくるヤブ蚊を払い、あの時の事を思い出しながら、空き家になった父親の実家の母屋の周りを一周した。
佳子の部屋があったところも、戸は雨戸が閉められ、釘で固定されている。
築山は草払いもされないまま藪になり、大きな蘇鉄が草木に埋もれている。立派だったヒトツバは対照的に、すっかりみすぼらしくなっている。
あの時父親は、もう避けられなくなった離婚の事について、伯母に相談していたのだろう。あるいは相談でもなく、決まった事の報告をしていたのかもしれない。
加世田への小旅行から三日後に母親が帰ってきて、それから慌ただしく母親と豊の荷物がまとめられ、お盆明けには西郷団地の母親の実家に引っ越したのだ。
新学期から豊は、西陵小学校に通い始める事となった。
当時の西郷団地は造成がほぼ終わり、転入のピークも大詰めの頃で、豊はあくまでも数多くの転入生の一人として受け入れられた。
しかし彼自身は、別れを告げる事のできなかった大部分のクラスメートの事が心残りでならなかった。
いやそれよりも、ただ怖いと思っていた父親の優しい、本当の顔に触れられたと思ったのに、それからすぐに引き離された事は、豊の心にいくらかの傷を残した。
さらに父親との小旅行の翌年の春、南薩線が廃止されてしまい、父親との大切な思い出を構成する重要な要素の一つが失われてしまったような思いも味わった。
しかも豊自身の心の整理が付かないうちに、親戚からの強い勧めもあり母親が再婚し、二人は岸和田へと再度の引越しをした。
豊が小学六年生の冬だった。
母親の再婚相手は実の子供二人を独立させたばかりだったが、その割にはまだ若かった。
前妻とは五年ほど前に死別していた。
子煩悩で、豊はよく可愛がられたが、しかし彼は新しい父親になかなか馴染めず、大学二年の夏に一人暮らしを始めて家を出るその日までついに、「お父さん」とも「おやじ」とも呼べなかった。
それでも、卒業まで資金的に援助してくれて、就職祝いにも高価なパソコンセットを贈ってくれたのだ。
結婚式には父親として出席してくれたし、孫として生まれた淳には、血の繋がりはないのに、溺愛という表現では足りないほどの偏愛ぶりを見せてくれる。
その愛情に応えられないのは、やはり実の父親について心の総括ができていないからだろうとも思う。
結局実の父親とは、両親の離婚後一度も会わず、手紙を送る機会もなく、ただ、彼が大学生になって間もなくの頃に、職場で倒れてそのまま急死した事と、取締役だったので、それなりに大きな葬儀が執り行われた事だけを、母宛に届いた伯母からの手紙で知った。
それからも四半世紀近い時間が経過し、その間、一度も父親の墓に参っていない。
そもそも、父親が眠っているかもしれない父方の家の墓がどこにあるのか、全く当てにならないあやふやな記憶しか残っていないのだ。
改めて思えば、父親の実家が豊と父親とを繋ぐ、唯一の窓口のはずだった。そしてその窓口が今も確かにある事さえ確認できれば、彼としてはとりあえず満足だったかもしれない。
しかし、それが無い。
そこから立ち去ろうにも、未練ばかりが残って立ち去れなかった。
「どちらさんですか」
唐突に声をかけられ、豊は全身で身震いした。
「ここ、うちの土地なんですが……」
怪訝そうに豊を見る中年の女性の顔には、確かに見覚えがあった。
佳乃だ。
彼女も、ようやく豊だとわかったようだ。
「ああ、ええと……誰だっけ……ああ、ひょっとしてゆっくん?」
「そうです。勝手に入って、申し訳ございません」
豊は深々と頭を下げた。
佳乃は手で顔を覆いながら笑った。
「いや、そんなのじゃないのよ。ただ、通りかかったら誰かいたもんだから、不審者じゃないかと思っちゃって……それにしても、亡くなったお父さんにも似てきて、ほんとにねぇ」
豊は再び頭を下げた。
→(10)へつづく
(1)へ
佳子の部屋があったところも、戸は雨戸が閉められ、釘で固定されている。
築山は草払いもされないまま藪になり、大きな蘇鉄が草木に埋もれている。立派だったヒトツバは対照的に、すっかりみすぼらしくなっている。
あの時父親は、もう避けられなくなった離婚の事について、伯母に相談していたのだろう。あるいは相談でもなく、決まった事の報告をしていたのかもしれない。
加世田への小旅行から三日後に母親が帰ってきて、それから慌ただしく母親と豊の荷物がまとめられ、お盆明けには西郷団地の母親の実家に引っ越したのだ。
新学期から豊は、西陵小学校に通い始める事となった。
当時の西郷団地は造成がほぼ終わり、転入のピークも大詰めの頃で、豊はあくまでも数多くの転入生の一人として受け入れられた。
しかし彼自身は、別れを告げる事のできなかった大部分のクラスメートの事が心残りでならなかった。
いやそれよりも、ただ怖いと思っていた父親の優しい、本当の顔に触れられたと思ったのに、それからすぐに引き離された事は、豊の心にいくらかの傷を残した。
さらに父親との小旅行の翌年の春、南薩線が廃止されてしまい、父親との大切な思い出を構成する重要な要素の一つが失われてしまったような思いも味わった。
しかも豊自身の心の整理が付かないうちに、親戚からの強い勧めもあり母親が再婚し、二人は岸和田へと再度の引越しをした。
豊が小学六年生の冬だった。
母親の再婚相手は実の子供二人を独立させたばかりだったが、その割にはまだ若かった。
前妻とは五年ほど前に死別していた。
子煩悩で、豊はよく可愛がられたが、しかし彼は新しい父親になかなか馴染めず、大学二年の夏に一人暮らしを始めて家を出るその日までついに、「お父さん」とも「おやじ」とも呼べなかった。
それでも、卒業まで資金的に援助してくれて、就職祝いにも高価なパソコンセットを贈ってくれたのだ。
結婚式には父親として出席してくれたし、孫として生まれた淳には、血の繋がりはないのに、溺愛という表現では足りないほどの偏愛ぶりを見せてくれる。
その愛情に応えられないのは、やはり実の父親について心の総括ができていないからだろうとも思う。
結局実の父親とは、両親の離婚後一度も会わず、手紙を送る機会もなく、ただ、彼が大学生になって間もなくの頃に、職場で倒れてそのまま急死した事と、取締役だったので、それなりに大きな葬儀が執り行われた事だけを、母宛に届いた伯母からの手紙で知った。
それからも四半世紀近い時間が経過し、その間、一度も父親の墓に参っていない。
そもそも、父親が眠っているかもしれない父方の家の墓がどこにあるのか、全く当てにならないあやふやな記憶しか残っていないのだ。
改めて思えば、父親の実家が豊と父親とを繋ぐ、唯一の窓口のはずだった。そしてその窓口が今も確かにある事さえ確認できれば、彼としてはとりあえず満足だったかもしれない。
しかし、それが無い。
そこから立ち去ろうにも、未練ばかりが残って立ち去れなかった。
「どちらさんですか」
唐突に声をかけられ、豊は全身で身震いした。
「ここ、うちの土地なんですが……」
怪訝そうに豊を見る中年の女性の顔には、確かに見覚えがあった。
佳乃だ。
彼女も、ようやく豊だとわかったようだ。
「ああ、ええと……誰だっけ……ああ、ひょっとしてゆっくん?」
「そうです。勝手に入って、申し訳ございません」
豊は深々と頭を下げた。
佳乃は手で顔を覆いながら笑った。
「いや、そんなのじゃないのよ。ただ、通りかかったら誰かいたもんだから、不審者じゃないかと思っちゃって……それにしても、亡くなったお父さんにも似てきて、ほんとにねぇ」
豊は再び頭を下げた。
→(10)へつづく
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2018年09月02日
小説 遠い夏の日の南薩線(8)
あの時、豊と父親の突然の訪問だったが、伯母はいつものように笑顔で迎えてくれた。
玄関から上がり込んだ豊と父親を包む、年代を重ねた木材の匂いを含んだ冷たい空気。
二人はまず、仏壇に線香をあげてから、応接テーブルのある座敷に通された。
麦茶と茶菓子が出され、父親と伯母は世間話を始めた。
戸も障子や襖も全て開け放された中を、庭の築山の方から風が静かに通り抜けていく。
豊が麦茶を飲み終えるのを見て、伯母が奥の部屋にいるらしい、一番下の従姉にあたる佳乃に声をかけた。
「よっちゃん、よっちゃん!ゆっくんと遊んであげて」
返事がなかった。伯母は声を大きくして再び呼びかけた。
「よっちゃん!」
「ええー、勉強してるのに!」
佳乃の声だけが返ってきた。
伯母はあきれたように、しかしさらに大声で呼びかけた。
「いいから、少しの間だけ遊んであげて!」
「わかった……ゆっくん、おいで」
「さ、いってらっしゃい」
伯母に促されて、佳乃の部屋に向かう。
彼女は、机に向かったまま豊に言った。
「お姉ちゃんね、本当に受験勉強で忙しいから、遊んでられないからね……適当に本棚から取って読んどいて」
「……受験勉強?」
「そう、大学のね」
「大学行くの?」
「そう、大学」うるさそうに答えたが、続けて言った。「本当は京都のあたりの大学に行きたいんだけどね、県外に出るな、って。女の子だし、お兄ちゃん達はみんな県外に出て行っちゃって、誰も残らないし」
そしてまた参考書に向かったが、すぐにまた豊の方は見ずに顔を上げた。
「だから鹿大だろうけど、せめて熊大、できれば福岡あたりの……」
伯母たちのいる部屋まで聞こえるような声でそれだけ言って、参考書に戻った。
豊は仕方なく、本棚からあだち充の少女漫画『陽当たり良好!』を抜き出して、読み始めた。
真空状態のような、静かな午後。
実際には佳乃がページをめくり鉛筆を走らせる音、扇風機が首を振りながら風を送る音、そして座敷で父親と伯母が声を落として話す声、外からは蝉の声、ひょっとしたら軒先の風鈴の音もあったかもしれない。
しかしあとで思い返すと、その時の記憶からも、あらゆる音声が抜け落ちてしまっているのだ。
ひょっとしたら、父親と伯母との会話に耳を塞ぎたかったのかもしれない。実際にはあの時すでに、心を閉ざして外からの音をシャットアウトしていた可能性もある。
父親と伯母との話の内容について、豊は漫画を読みながらも、薄々気付き始めていたからだ。
→(9)へつづく
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玄関から上がり込んだ豊と父親を包む、年代を重ねた木材の匂いを含んだ冷たい空気。
二人はまず、仏壇に線香をあげてから、応接テーブルのある座敷に通された。
麦茶と茶菓子が出され、父親と伯母は世間話を始めた。
戸も障子や襖も全て開け放された中を、庭の築山の方から風が静かに通り抜けていく。
豊が麦茶を飲み終えるのを見て、伯母が奥の部屋にいるらしい、一番下の従姉にあたる佳乃に声をかけた。
「よっちゃん、よっちゃん!ゆっくんと遊んであげて」
返事がなかった。伯母は声を大きくして再び呼びかけた。
「よっちゃん!」
「ええー、勉強してるのに!」
佳乃の声だけが返ってきた。
伯母はあきれたように、しかしさらに大声で呼びかけた。
「いいから、少しの間だけ遊んであげて!」
「わかった……ゆっくん、おいで」
「さ、いってらっしゃい」
伯母に促されて、佳乃の部屋に向かう。
彼女は、机に向かったまま豊に言った。
「お姉ちゃんね、本当に受験勉強で忙しいから、遊んでられないからね……適当に本棚から取って読んどいて」
「……受験勉強?」
「そう、大学のね」
「大学行くの?」
「そう、大学」うるさそうに答えたが、続けて言った。「本当は京都のあたりの大学に行きたいんだけどね、県外に出るな、って。女の子だし、お兄ちゃん達はみんな県外に出て行っちゃって、誰も残らないし」
そしてまた参考書に向かったが、すぐにまた豊の方は見ずに顔を上げた。
「だから鹿大だろうけど、せめて熊大、できれば福岡あたりの……」
伯母たちのいる部屋まで聞こえるような声でそれだけ言って、参考書に戻った。
豊は仕方なく、本棚からあだち充の少女漫画『陽当たり良好!』を抜き出して、読み始めた。
真空状態のような、静かな午後。
実際には佳乃がページをめくり鉛筆を走らせる音、扇風機が首を振りながら風を送る音、そして座敷で父親と伯母が声を落として話す声、外からは蝉の声、ひょっとしたら軒先の風鈴の音もあったかもしれない。
しかしあとで思い返すと、その時の記憶からも、あらゆる音声が抜け落ちてしまっているのだ。
ひょっとしたら、父親と伯母との会話に耳を塞ぎたかったのかもしれない。実際にはあの時すでに、心を閉ざして外からの音をシャットアウトしていた可能性もある。
父親と伯母との話の内容について、豊は漫画を読みながらも、薄々気付き始めていたからだ。
→(9)へつづく
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2018年09月02日
小説 遠い夏の日の南薩線(7)
あの時父親が教えてくれた、超早場米の刈り入れの進む田んぼを眺めながら、バスは国道を加世田に向かって南下。
車窓左手には金峰山、右手には砂丘の松林といった光景も、豊の遠い記憶に重なった。
しかし、到着した加世田の駅は面影もなかった。
古い木造駅舎も、細い線路が並んだ構内も、朱色のディーゼルカーも、朽ち果てた廃車体も、煙のように消え失せていた。
代わりに、ロータリーのあるバスターミナルやバスの車庫、小洒落てはいるけれどもそれなりの築年数を経過しているのが見て分かるバスターミナルの事務所と待合室、そんなものに変わっていた。
ロータリーには、保存されていた小さな蒸気機関車と華奢なディーゼル機関車が一両ずつ、ポツンと模型のように置かれている。
蒸気機関車は、あの時、父親の実家に向かう途中で少し寄り道して、駅構内の南の外れの踏切のそばに建っていた木造の機関庫を覗いた時に見えた、あの機関車だろうか。
ディーゼル機関車は、あの時に豊は見た覚えがないが、別の機関庫にでも入っていたのだろうか。
そんな事を思いながら、豊はバスターミナルを後にした。
父親の実家は、あの時を最後に、それ以来一度も行っていないので、30年以上の時を経た記憶はすっかり怪しいものになってしまっている。
確かこの辺りだと思いながら、おぼろになってしまった記憶をたどり、ところどころで蝉の鳴く路地を往き来する。
あの時の記憶では、蝉の声さえない、無音の世界だったと思うのだが、時間の経過とともに記憶の中から音声が消失してしまったのだろうか。
流れ落ちる汗を拭いつつ歩くうちに、ようやく見覚えのある門の前にたどり着いた。
父親の実家は、下級の方ではあるけれども武家がルーツだという。だから、豊の記憶の中でも、堂々とした門構えの屋敷だった。
しかし、今目の前にある門は、記憶よりも小ぶりで、その向こうにある敷地もとても屋敷とは呼べないくらい、だいぶ小さい。
豊にとってそれ以上に想定外だったのは、実家が空き家になっていた事だった。
思わず豊は、門に申し訳程度に渡されたトラロープをくぐり、足を踏み入れた。
年に一度くらいは手入れがなされているのか、草薮で立ち入りできないというまでの状態にはなっていなかったが、玉砂利の敷き詰められた庭のところどころに背の高い雑草が生え、母屋から離れるにつれその密度を増して、そして母屋にはカズラが取り付こうとしている。
裏手に回ると、プロパンガスのメーターの下にはボンベが無く、電気メーターは完全に止まっていた。
伯母一家は、どこへ行ってしまったのだろうか……豊は元から伯母たちに会おうとは思わずにここへ来て、そのまま立ち去ろうと思っていたのだが、しかしそこが空き家になっているのを見るとやはり、不安が増してくるばかりだった。
何か、自分の大切な拠り所が失われてしまった気分……忘れ物を取りに来たつもりが、そこにあるはずのもっと大切なものが消えて無くなってしまったのを目の当たりにしたような、絶望的な気持ちが彼の心を重くした。
(8)に続く
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車窓左手には金峰山、右手には砂丘の松林といった光景も、豊の遠い記憶に重なった。
しかし、到着した加世田の駅は面影もなかった。
古い木造駅舎も、細い線路が並んだ構内も、朱色のディーゼルカーも、朽ち果てた廃車体も、煙のように消え失せていた。
代わりに、ロータリーのあるバスターミナルやバスの車庫、小洒落てはいるけれどもそれなりの築年数を経過しているのが見て分かるバスターミナルの事務所と待合室、そんなものに変わっていた。
ロータリーには、保存されていた小さな蒸気機関車と華奢なディーゼル機関車が一両ずつ、ポツンと模型のように置かれている。
蒸気機関車は、あの時、父親の実家に向かう途中で少し寄り道して、駅構内の南の外れの踏切のそばに建っていた木造の機関庫を覗いた時に見えた、あの機関車だろうか。
ディーゼル機関車は、あの時に豊は見た覚えがないが、別の機関庫にでも入っていたのだろうか。
そんな事を思いながら、豊はバスターミナルを後にした。
父親の実家は、あの時を最後に、それ以来一度も行っていないので、30年以上の時を経た記憶はすっかり怪しいものになってしまっている。
確かこの辺りだと思いながら、おぼろになってしまった記憶をたどり、ところどころで蝉の鳴く路地を往き来する。
あの時の記憶では、蝉の声さえない、無音の世界だったと思うのだが、時間の経過とともに記憶の中から音声が消失してしまったのだろうか。
流れ落ちる汗を拭いつつ歩くうちに、ようやく見覚えのある門の前にたどり着いた。
父親の実家は、下級の方ではあるけれども武家がルーツだという。だから、豊の記憶の中でも、堂々とした門構えの屋敷だった。
しかし、今目の前にある門は、記憶よりも小ぶりで、その向こうにある敷地もとても屋敷とは呼べないくらい、だいぶ小さい。
豊にとってそれ以上に想定外だったのは、実家が空き家になっていた事だった。
思わず豊は、門に申し訳程度に渡されたトラロープをくぐり、足を踏み入れた。
年に一度くらいは手入れがなされているのか、草薮で立ち入りできないというまでの状態にはなっていなかったが、玉砂利の敷き詰められた庭のところどころに背の高い雑草が生え、母屋から離れるにつれその密度を増して、そして母屋にはカズラが取り付こうとしている。
裏手に回ると、プロパンガスのメーターの下にはボンベが無く、電気メーターは完全に止まっていた。
伯母一家は、どこへ行ってしまったのだろうか……豊は元から伯母たちに会おうとは思わずにここへ来て、そのまま立ち去ろうと思っていたのだが、しかしそこが空き家になっているのを見るとやはり、不安が増してくるばかりだった。
何か、自分の大切な拠り所が失われてしまった気分……忘れ物を取りに来たつもりが、そこにあるはずのもっと大切なものが消えて無くなってしまったのを目の当たりにしたような、絶望的な気持ちが彼の心を重くした。
(8)に続く
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2018年09月02日
小説 遠い夏の日の南薩線(6)
伊作駅のホームを挟んで並んだ上りと下りの二本の列車は、それぞれ短い警笛を鳴らして、ゴトゴトと発車した。
伊作駅は大きな半円状のカーブの途中にあり、豊たちの下り列車の窓から、上り列車が側面をこちらに見せながらゆっくり走り、やがて反対側にカーブを切って坂の向こうに消えていくのが見えた。
(あの父子、どこまで行くんだろう……)
ふと車内を見回すと、日置を出た時と比べて、だいぶ乗客が入れ替わっていた。
父親は大きく伸びをした。
日置からは父親が煙草を吸ったという記憶が、豊にはない。実際には何本かは吸ったかもしれないが、それよりも父親の楽しげな顔が強烈に印象に残っている。
進行方向左側に遠く金峰山が望まれるあたりでは、刈り入れ中の田んぼが線路の両側に広がっていた。
「ここらは、日本でも一番最初に稲刈りができるんだ。超早場米、と言って」
父親は豊に教えてくれた。
先ほどの続きのような昔話もした。
「子供の頃はな、家族みんなで南薩線に乗って、鹿児島市内にも遊びに行ったもんだ。鴨池の動物園とか、山形屋とか。夏になると、山形屋の階段には、大きな氷柱が出してあって、それを手が赤くなるまで触ったりしたもんだ」
すっかり人が変わってしまって、嬉々として語る父親に相槌を打ちながら、いつまでもこのままの父親でいてほしいと、豊は強く願うばかりだった。
西駅を出てから一時間半ほどで、一両列車は加世田に到着。
加世田駅の構内には何両かの丸型や箱型のディーゼルカーが休み、側線にはとうの昔に廃車となった客車や貨車が朽ちるに任されるまま留め置かれていた。
豊はそれらにも軽く驚きながら、父親の後を追い、他の乗客らとともに、加世田駅の改札口を抜けた。
加世田から先も水害で不通となっており、伊集院で見たのと同じような代行バスが乗り継ぎ客を待っていた。
それを横目に、父親は駅前の公衆電話ボックスに入り、二か所に電話をかけた。
一か所は、これから行く父親の実家のようだった。
もう一か所は、ガラスのボックスの向こうから漏れ聞こえる声の様子からして、実家にいる母親だろう。
ボックスから出た父親は豊に声をかけた。
「さ、行くぞ」
しかし、もうその顔には先ほどまでの柔和さは無かった。
(7)へ続く
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伊作駅は大きな半円状のカーブの途中にあり、豊たちの下り列車の窓から、上り列車が側面をこちらに見せながらゆっくり走り、やがて反対側にカーブを切って坂の向こうに消えていくのが見えた。
(あの父子、どこまで行くんだろう……)
ふと車内を見回すと、日置を出た時と比べて、だいぶ乗客が入れ替わっていた。
父親は大きく伸びをした。
日置からは父親が煙草を吸ったという記憶が、豊にはない。実際には何本かは吸ったかもしれないが、それよりも父親の楽しげな顔が強烈に印象に残っている。
進行方向左側に遠く金峰山が望まれるあたりでは、刈り入れ中の田んぼが線路の両側に広がっていた。
「ここらは、日本でも一番最初に稲刈りができるんだ。超早場米、と言って」
父親は豊に教えてくれた。
先ほどの続きのような昔話もした。
「子供の頃はな、家族みんなで南薩線に乗って、鹿児島市内にも遊びに行ったもんだ。鴨池の動物園とか、山形屋とか。夏になると、山形屋の階段には、大きな氷柱が出してあって、それを手が赤くなるまで触ったりしたもんだ」
すっかり人が変わってしまって、嬉々として語る父親に相槌を打ちながら、いつまでもこのままの父親でいてほしいと、豊は強く願うばかりだった。
西駅を出てから一時間半ほどで、一両列車は加世田に到着。
加世田駅の構内には何両かの丸型や箱型のディーゼルカーが休み、側線にはとうの昔に廃車となった客車や貨車が朽ちるに任されるまま留め置かれていた。
豊はそれらにも軽く驚きながら、父親の後を追い、他の乗客らとともに、加世田駅の改札口を抜けた。
加世田から先も水害で不通となっており、伊集院で見たのと同じような代行バスが乗り継ぎ客を待っていた。
それを横目に、父親は駅前の公衆電話ボックスに入り、二か所に電話をかけた。
一か所は、これから行く父親の実家のようだった。
もう一か所は、ガラスのボックスの向こうから漏れ聞こえる声の様子からして、実家にいる母親だろう。
ボックスから出た父親は豊に声をかけた。
「さ、行くぞ」
しかし、もうその顔には先ほどまでの柔和さは無かった。
(7)へ続く
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2018年09月01日
小説 遠い夏の日の南薩線(5)
父親との思い出を頭の中で追いながら、豊はバスに揺られていた。
伊集院駅前を出るとすぐに町を抜け、飯牟礼峠を越える道へ。
あの時とほぼ同じ時間帯のはずなのに、乗客は数名ほどしか乗っていない。
顔見知りなのか、たまたま乗り合わせたのか、年配の乗客たちがおしゃべりする声が飛び交っていたあの時と違って、今はひとりひとり距離を置くように椅子に座り、無口なまま揃って前を向くだけ。
窓の外には、相変わらず眩い夏の光と、緑を通り越して黒いまでに濃い南九州の森。あの時と違うのは、放棄されて荒れ果てた田んぼの多い事。
車窓をぼんやりと眺めていた豊のポケットの中で、スマホが振動した。
妻からのラインの着信。
「いまどこ?」
家を出てから何の連絡もしていなかった。
返事を送った。
「鹿児島」
すぐに「既読」の表示が出たが、しばらく待っても返事がなかった。
無理もなかろう、戸惑っているな……豊は自分だけの秘密を隠し持っているような、気まずさを覚えた。
バスが日置の町を過ぎたあたりで、再び妻からの着信。
「うちは純と科学館」
純は、あの時の彼と同じ小学五年生だ。妻よりも彼に懐いているが、大好きな科学館に連れて行ってもらっていると分かり、安心した。
一人で家を出るにあたり、淳の事だけは気がかりだったのだ。豊は返信した。
「楽しんでる?」
これもすぐに「既読」になったが、また返信がなかった。
楽しんでいないのだろうか……かすかに不安を覚えて追加で送信しようとした時に、返信。
「帰ってくる?」
重ねてもう一回。
「淳やっぱりお父さんがいいって」
すぐに返信した。
「今日帰れたら帰る。帰れなかったら明日の始発で帰る」
すぐに返信があった。うさぎのキャラクターがホッと安心するイラストのスタンプ。
妻は、豊がもう帰らないと心配していたのだろうか。
それも無理はない。
しかし本当のところは、一体どうしたいのか自分でもわからないまま、鹿児島に……加世田に向かっているのだった。
どうしたら良いのか……結局どうしたいのか……答えを探そうとぼんやりと考えるうちに、バスは永吉川を渡った。
きらめく川面の中に、南薩線の橋脚だった石積みが並び、その向こうの夏雲の下には、青い東シナ海。
美しい光景だと思った。
淳に、この光景を見せてやりたいとも思った。
そして、もし自分たちが離婚したら、淳は彼と妻、どちらに引き取られるのだろうかという懸念が、心のうちに湧き上がってきた。
(6)に続く
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伊集院駅前を出るとすぐに町を抜け、飯牟礼峠を越える道へ。
あの時とほぼ同じ時間帯のはずなのに、乗客は数名ほどしか乗っていない。
顔見知りなのか、たまたま乗り合わせたのか、年配の乗客たちがおしゃべりする声が飛び交っていたあの時と違って、今はひとりひとり距離を置くように椅子に座り、無口なまま揃って前を向くだけ。
窓の外には、相変わらず眩い夏の光と、緑を通り越して黒いまでに濃い南九州の森。あの時と違うのは、放棄されて荒れ果てた田んぼの多い事。
車窓をぼんやりと眺めていた豊のポケットの中で、スマホが振動した。
妻からのラインの着信。
「いまどこ?」
家を出てから何の連絡もしていなかった。
返事を送った。
「鹿児島」
すぐに「既読」の表示が出たが、しばらく待っても返事がなかった。
無理もなかろう、戸惑っているな……豊は自分だけの秘密を隠し持っているような、気まずさを覚えた。
バスが日置の町を過ぎたあたりで、再び妻からの着信。
「うちは純と科学館」
純は、あの時の彼と同じ小学五年生だ。妻よりも彼に懐いているが、大好きな科学館に連れて行ってもらっていると分かり、安心した。
一人で家を出るにあたり、淳の事だけは気がかりだったのだ。豊は返信した。
「楽しんでる?」
これもすぐに「既読」になったが、また返信がなかった。
楽しんでいないのだろうか……かすかに不安を覚えて追加で送信しようとした時に、返信。
「帰ってくる?」
重ねてもう一回。
「淳やっぱりお父さんがいいって」
すぐに返信した。
「今日帰れたら帰る。帰れなかったら明日の始発で帰る」
すぐに返信があった。うさぎのキャラクターがホッと安心するイラストのスタンプ。
妻は、豊がもう帰らないと心配していたのだろうか。
それも無理はない。
しかし本当のところは、一体どうしたいのか自分でもわからないまま、鹿児島に……加世田に向かっているのだった。
どうしたら良いのか……結局どうしたいのか……答えを探そうとぼんやりと考えるうちに、バスは永吉川を渡った。
きらめく川面の中に、南薩線の橋脚だった石積みが並び、その向こうの夏雲の下には、青い東シナ海。
美しい光景だと思った。
淳に、この光景を見せてやりたいとも思った。
そして、もし自分たちが離婚したら、淳は彼と妻、どちらに引き取られるのだろうかという懸念が、心のうちに湧き上がってきた。
(6)に続く
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2018年09月01日
小説 遠い夏の日の南薩線(4)
豊と父親たちを乗せた列車代行バスは、日置の駅前に到着。
小さい木造の駅舎の改札口を抜けると、伊集院まで乗ってきたのとは異なる、前後が半円筒形をした流線形のディーゼルカーが待っていた。
ホームに渡る踏切の上で、豊は足を止め、ディーゼルカーを正面からぽかんと眺めた。
本当に、口も開けたままだったかもしれない。
見るからに、昔の写真から抜け出してきたような、古典的な車両。
前面の六枚窓のうち、運転席にあたる部分を除く五枚の窓は、全開。
運転席の窓ガラスの反射の向こうから、かなりの年配の運転士が豊に笑いながら手を振るのと、父親が彼を促すように肩を叩いたのと、ほぼ同時だった。
豊は慌てて父親の後を追う。
低いホームから、ドアの下から出たステップを踏んで車内に入ると、伊集院まで乗ってきた車両よりは客室内が明るく感じられた。
それは若干日が傾いてきたのと、客室の側面は小窓がびっしり並んでいて、外の光が入りやすくなっていたからかもしれない。
年配の女性と相席ではあるが空いている席を見つけ、父親は窓側、豊は通路側に座る。
座席が、伊集院まで乗ってきた車両よりもさらに窮屈だなと思っているうちに、ディーゼルカーは発車。
たちまち車体は左右に激しく揺れだし、窓がガタガタと音をたてて、豊は「脱線?」と思わず身構えたが、父親も周りの乗客も、みんな当たり前のような顔をしていた。
すぐにディーゼルカーは大きく身震いするような揺れとともにポイントを渡って駅の構内を出て、エンジンをいっぱいにふかしながらスピードを上げた。
揺れは上下動も加わってさらに激しくなり、窓の下からはディーゼルエンジンのけたたましい音に混じり、車輪がレールを激しく叩くように刻む音が、ガシャン、ピシャン、ガシャン、ピシャンと途切れる事なく鼓膜を打ってきた。
それに、しつこいくらい頻繁に鳴らされる警笛の音。こんなにうるさく賑やかな汽車があるのかと、豊は一種のショックを覚えた。
緩い上りの坂道に差し掛かると若干スピードは落ちて少しは静かになったが、下りになると再びスピードを上げ、振動と騒音が戻ってきた。
窓のガラスは割れそうなくらいに震え、このままでは本当に脱線するか車体が壊れるのではないかと思ううち、スピードを緩めて最初の駅に到着。
今にも崩れそうな、廃屋のような木造駅舎の無人駅。ホームに立つ駅名標も、白ペンキはまばらに剥げ落ち、黒い毛筆体の文字がよく読めなかった。
「よ……よ……とし?」
「よ、し、と、し。吉利だ」
読めないでいる豊に、父親は笑いながら言った。
実際はそうではないはずだが、豊が初めて見る父親の笑顔のように思えた。
車掌の手笛の音ともに、ディーゼルカーは発車。
再びの激しい音と揺れとともに、林と田んぼが混在する中を走っていく。
進行方向右側には吹上浜の松林が現れ、その向こうにほんの数瞬、東シナ海が現れた。
「海が見えたけど……見えなくなった」
豊が言うと、父親が答えた。
「もうすぐ、もっと広い海が見えるぞ」
言い終わるや、床の下から連続的な轟音。
永吉川の鉄橋を渡るところだった。
窓の向こうに、河口の砂丘と、そして青く広い東シナ海の広がりが見えた。
父親は、どうだと言わんばかりに豊に笑いかける。
それからも、父親は柔らかい表情で列車の揺れに身を任せていた。
やがて列車は松林の中に入り、松特有の少し刺激のある匂いが客室の中を通り抜けていく。
周りには松林の他に何もない薩摩湖の駅に着く頃、父親は言った。
「昔はな、ここには遊園地があって、父さんたちは子供の頃、じいちゃんやばあちゃんたちに連れられて、家族みんなで南薩線に乗って、よく遊びに来たもんだ。今はないけど、昔は湖を越えるロープウェイもあったりして……」
父親にも子供時代があったというのが、あまりにも意外な過去のように豊が思っていると、それまで黙っていた向かいの席の女性が目を輝かせ、身を乗り出すように話しかけてきた。
「あれぇ、薩摩湖遊園地の事、懐かしかですねぇ」
「ええ、今はだいぶ小さくなってしまいましたが、あの頃は、かなり楽しい所でしたね。与次郎ヶ浜のジャングルパークも、まだまだない時代で」
父親は笑いながら答える。
女性は、さらに言葉を継いだ。
「あたいらも、子供達を連れて、花見やら何やらでよく来ましたが……ええ、本当に懐かしかですねぇ」
一瞬とも思える沈黙の後、女性は言った。
「子供らも大きくなって都会に出てしまいましたし、もうあんな楽しい時代は帰ってきやせんのですかねぇ」
父親と女性が昔話に花を咲かせているうちに、ディーゼルカーは甲高い音とともにレールを軋ませながら急カーブを下り、伊作の駅に到着。
そこで向かいの女性が降りたので、豊は父親と向かい合うかたちで、窓側に座った。
窓の向こうには、陽に当てられた白砂が眩しいホームがあり、その向こうには、伊集院行きの行き先札を表示した、上り列車が停車中。
豊たちのちょうど反対側の向こうの窓に、彼らと同じような父子が向かい合って座っていた。
(5)に続く
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小さい木造の駅舎の改札口を抜けると、伊集院まで乗ってきたのとは異なる、前後が半円筒形をした流線形のディーゼルカーが待っていた。
ホームに渡る踏切の上で、豊は足を止め、ディーゼルカーを正面からぽかんと眺めた。
本当に、口も開けたままだったかもしれない。
見るからに、昔の写真から抜け出してきたような、古典的な車両。
前面の六枚窓のうち、運転席にあたる部分を除く五枚の窓は、全開。
運転席の窓ガラスの反射の向こうから、かなりの年配の運転士が豊に笑いながら手を振るのと、父親が彼を促すように肩を叩いたのと、ほぼ同時だった。
豊は慌てて父親の後を追う。
低いホームから、ドアの下から出たステップを踏んで車内に入ると、伊集院まで乗ってきた車両よりは客室内が明るく感じられた。
それは若干日が傾いてきたのと、客室の側面は小窓がびっしり並んでいて、外の光が入りやすくなっていたからかもしれない。
年配の女性と相席ではあるが空いている席を見つけ、父親は窓側、豊は通路側に座る。
座席が、伊集院まで乗ってきた車両よりもさらに窮屈だなと思っているうちに、ディーゼルカーは発車。
たちまち車体は左右に激しく揺れだし、窓がガタガタと音をたてて、豊は「脱線?」と思わず身構えたが、父親も周りの乗客も、みんな当たり前のような顔をしていた。
すぐにディーゼルカーは大きく身震いするような揺れとともにポイントを渡って駅の構内を出て、エンジンをいっぱいにふかしながらスピードを上げた。
揺れは上下動も加わってさらに激しくなり、窓の下からはディーゼルエンジンのけたたましい音に混じり、車輪がレールを激しく叩くように刻む音が、ガシャン、ピシャン、ガシャン、ピシャンと途切れる事なく鼓膜を打ってきた。
それに、しつこいくらい頻繁に鳴らされる警笛の音。こんなにうるさく賑やかな汽車があるのかと、豊は一種のショックを覚えた。
緩い上りの坂道に差し掛かると若干スピードは落ちて少しは静かになったが、下りになると再びスピードを上げ、振動と騒音が戻ってきた。
窓のガラスは割れそうなくらいに震え、このままでは本当に脱線するか車体が壊れるのではないかと思ううち、スピードを緩めて最初の駅に到着。
今にも崩れそうな、廃屋のような木造駅舎の無人駅。ホームに立つ駅名標も、白ペンキはまばらに剥げ落ち、黒い毛筆体の文字がよく読めなかった。
「よ……よ……とし?」
「よ、し、と、し。吉利だ」
読めないでいる豊に、父親は笑いながら言った。
実際はそうではないはずだが、豊が初めて見る父親の笑顔のように思えた。
車掌の手笛の音ともに、ディーゼルカーは発車。
再びの激しい音と揺れとともに、林と田んぼが混在する中を走っていく。
進行方向右側には吹上浜の松林が現れ、その向こうにほんの数瞬、東シナ海が現れた。
「海が見えたけど……見えなくなった」
豊が言うと、父親が答えた。
「もうすぐ、もっと広い海が見えるぞ」
言い終わるや、床の下から連続的な轟音。
永吉川の鉄橋を渡るところだった。
窓の向こうに、河口の砂丘と、そして青く広い東シナ海の広がりが見えた。
父親は、どうだと言わんばかりに豊に笑いかける。
それからも、父親は柔らかい表情で列車の揺れに身を任せていた。
やがて列車は松林の中に入り、松特有の少し刺激のある匂いが客室の中を通り抜けていく。
周りには松林の他に何もない薩摩湖の駅に着く頃、父親は言った。
「昔はな、ここには遊園地があって、父さんたちは子供の頃、じいちゃんやばあちゃんたちに連れられて、家族みんなで南薩線に乗って、よく遊びに来たもんだ。今はないけど、昔は湖を越えるロープウェイもあったりして……」
父親にも子供時代があったというのが、あまりにも意外な過去のように豊が思っていると、それまで黙っていた向かいの席の女性が目を輝かせ、身を乗り出すように話しかけてきた。
「あれぇ、薩摩湖遊園地の事、懐かしかですねぇ」
「ええ、今はだいぶ小さくなってしまいましたが、あの頃は、かなり楽しい所でしたね。与次郎ヶ浜のジャングルパークも、まだまだない時代で」
父親は笑いながら答える。
女性は、さらに言葉を継いだ。
「あたいらも、子供達を連れて、花見やら何やらでよく来ましたが……ええ、本当に懐かしかですねぇ」
一瞬とも思える沈黙の後、女性は言った。
「子供らも大きくなって都会に出てしまいましたし、もうあんな楽しい時代は帰ってきやせんのですかねぇ」
父親と女性が昔話に花を咲かせているうちに、ディーゼルカーは甲高い音とともにレールを軋ませながら急カーブを下り、伊作の駅に到着。
そこで向かいの女性が降りたので、豊は父親と向かい合うかたちで、窓側に座った。
窓の向こうには、陽に当てられた白砂が眩しいホームがあり、その向こうには、伊集院行きの行き先札を表示した、上り列車が停車中。
豊たちのちょうど反対側の向こうの窓に、彼らと同じような父子が向かい合って座っていた。
(5)に続く
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2018年09月01日
小説 遠い夏の日の南薩線(3)
銀色の車体に黒い顔面が近未来的な印象さえ与えるJRの電車は、結構なスピードで鹿児島本線を突っ走っていたが、やがて滑らかに減速しながら伊集院の駅に到着した。
豊の記憶にある伊集院駅の建物はコンクリートむき出しの平屋造りだったが、今は大都市郊外の私鉄駅のような、垢抜けた橋上駅になっている。
階段を下りて駅前に出ると日差しが強く、バス乗り場のアスファルトの路面からの照り返しも激しく、全身が焼かれてしまいそうだった。
久々に出会った南九州の太陽の、全てを焼き尽くそうとするかのような強烈さには、正直なところ目眩さえした。
結婚してからは鹿児島に帰省する事もなくなり、母方の祖父母も鬼籍に入ってしまったので、だいぶ長く経験しなかった、故郷の鹿児島の夏だった。
大きく変わってしまった伊集院駅に対して、駅前の様子は、三十余年の時を経ても大きく変わっていないように思えた。
しかし、小学校五年生の時のおぼろげな記憶だ。当てにはならない。
枕崎行きのバスを待ちながら、豊は深い息を吐いた。それはため息と言うよりも、緊張が解けた安堵の息だった。
やっと鹿児島に帰ってきた……。
開業以来初めて乗った九州新幹線は、わずか四時間で新大阪から鹿児島中央まで豊を運んだ。
それでも思えば思うほど、遠くに来てしまったと感じた。
感慨深く待つうちに、加世田経由・枕崎行きのバスが来た。
新幹線の中でネットで調べたところでは、鹿児島市内から加世田に行くには、鹿児島中央駅の近くでレンタカーでも借りて、指宿スカイラインの谷山インターから大坂経由の南薩横断道を行けば、あっという間のはずだった。
豊と父が加世田に行ったあの当時ですら、鹿児島市内からはマイカーか特急バスに乗った方が時間的にも早く、そして冷房付きで快適だったはずだ。
しかし父親はなぜか、当時の西鹿児島駅から南薩線のディーゼルカーに豊を伴って乗り込み、加世田に向かった。
そして今。
豊もまた、あの遠い夏の日の思い出をなぞるように、今はない南薩線に沿うようなルートを選んだ。
(4)に続く
(1)へ
豊の記憶にある伊集院駅の建物はコンクリートむき出しの平屋造りだったが、今は大都市郊外の私鉄駅のような、垢抜けた橋上駅になっている。
階段を下りて駅前に出ると日差しが強く、バス乗り場のアスファルトの路面からの照り返しも激しく、全身が焼かれてしまいそうだった。
久々に出会った南九州の太陽の、全てを焼き尽くそうとするかのような強烈さには、正直なところ目眩さえした。
結婚してからは鹿児島に帰省する事もなくなり、母方の祖父母も鬼籍に入ってしまったので、だいぶ長く経験しなかった、故郷の鹿児島の夏だった。
大きく変わってしまった伊集院駅に対して、駅前の様子は、三十余年の時を経ても大きく変わっていないように思えた。
しかし、小学校五年生の時のおぼろげな記憶だ。当てにはならない。
枕崎行きのバスを待ちながら、豊は深い息を吐いた。それはため息と言うよりも、緊張が解けた安堵の息だった。
やっと鹿児島に帰ってきた……。
開業以来初めて乗った九州新幹線は、わずか四時間で新大阪から鹿児島中央まで豊を運んだ。
それでも思えば思うほど、遠くに来てしまったと感じた。
感慨深く待つうちに、加世田経由・枕崎行きのバスが来た。
新幹線の中でネットで調べたところでは、鹿児島市内から加世田に行くには、鹿児島中央駅の近くでレンタカーでも借りて、指宿スカイラインの谷山インターから大坂経由の南薩横断道を行けば、あっという間のはずだった。
豊と父が加世田に行ったあの当時ですら、鹿児島市内からはマイカーか特急バスに乗った方が時間的にも早く、そして冷房付きで快適だったはずだ。
しかし父親はなぜか、当時の西鹿児島駅から南薩線のディーゼルカーに豊を伴って乗り込み、加世田に向かった。
そして今。
豊もまた、あの遠い夏の日の思い出をなぞるように、今はない南薩線に沿うようなルートを選んだ。
(4)に続く
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2018年09月01日
小説 遠い夏の日の南薩線(2)
昭和58年のある夏の日。
その日は日曜日だったが、母親は朝から家にいなかった。
西郷団地の実家に帰ったのだと、豊は察した。
前の晩遅くか未明頃か、父親と母親が茶の間で激しく口論する最中に豊は目が覚めた。
しかし、それはよくある事。
蒸し暑い夜で、もうとっくに止まっていた足元の扇風機のタイマーをセットし直し、またすぐに寝た。
しかし眠りに入る前には、胸が強く締め付けられるような悲しさを感じ、その胸を両腕で包み、自分をなだめるように体を丸くして目を閉じた。
その年に入ってから、両親の仲が急に悪くなるのを豊は子供心にも感じ取っていた。
もとから少なかった二人の間の会話が途絶え、休日に家族で街や遊園地に行く事も全くなくなっていた。
母親は、諍いの苛立ちを豊かに向けるかのように、彼に辛く当たり、例えば以前ならテストで七十点を取って帰宅しても、
「もうひと頑張りだったのにね」
と微笑んでくれたのに、それが、
「またこんな点を取って来て!」
などと叱責したり、以前は自由に見る事ができた夕方のアニメ番組も、
「こんなのばかり見ていて勉強しないからテストができないの!」
と、チャンネルを変えたりした。
平日の父親の帰りは、日を追うごとに遅くなっていった。時には、豊が寝た後に帰宅する事もあった。
覚えているのは、休日も、背広を着て出勤していく父親の背中。
もともと父親は、それよりずっと以前から家を不在にする事が多かった。だがそれは、仕事に打ち込んでいたためだったのは、確からしい。
当時地場の商社の課長だった父親は、真面目で厳格で無口で、家庭よりも何よりも仕事を最優先にしていた。
豊が抱く当時の父親のイメージは、庭に面した六畳間にテーブルを出し、会社から持ち帰った書類を広げ、常に煙草の煙を吐き出し続け、しかめっ面をして貧乏ゆすりまでしていた、その背中。
少ない楽しみのひとつが、ビールで晩酌をしながら巨人戦のナイター中継を見る事だったが、それでも難しい顔をして、巨人に点が入った時に身体を左右に揺する程度。
豊にとっては、ただおっかなく、近寄りがたい存在。
叱られた事すらほとんど無かったにもかかわらず。
そのように家庭を顧みなかった事が、母親との不仲の根本的な原因だったのは容易に想像できたが、実際に後になってから、母親から幾度となく愚痴として聞かされた。
その、取っ付きにくくて怖い父親と家で二人きりとなってしまった、豊の心細さ。
朝食はテーブルの上に、冷めたご飯と味噌汁、前晩の残りのおかずが用意してあったから良かったが、昼食はどうなるのだろうか。
父親を変に刺激しそうで外に遊びに行くとも言えず、もう読んでしまった学研の学習などを流し読みするだけだったが、その内容は全く頭に入ってこない。
時間だけはゆっくり経過して昼になり、腹も空き始めた頃、父親が部屋に入ってきた。
「父さんな、これから加世田に行くけど、一緒に来るか? 来るな?」
加世田には、父親の実家があった。
父方の祖父母はすでに亡くなっていたが、伯母夫婦と一番下の高校生の従姉が住んでいた。
(苦手な父親と一緒に加世田に行っても、年の離れた従姉はこの頃遊んでくれなくなったし、行きたくないなぁ)
そう逡巡する豊の胸中など無視して、父親は家中の鍵をかけ始めた。
加世田へは、いつものように父親の運転する車で行くのかと思ったが、そのまま歩いて薬師の家を出た。
校庭の隅の、林のように樹々が繁る一角で蝉がせわしく鳴くのを聞きながら、西田小の側を通り、西田本通りのラーメン店で昼食。
食事を終え、閑散とした西鹿児島駅西口までさらに歩いていったが、家を出てからそれまでは、二人ともほとんど無言だった。
西駅西口の小さい窓口で、加世田までの切符を購入。
よく見る国鉄の切符は、子供用は大人用と同じ券面に「小」と赤くスタンプが押してあった。しかし豊が渡された子供用の切符は、大人用の切符の端を鋏で切り落としたものだった。
先を行く父親の背中を追いかけ、湿った匂いのする地下道を抜けて、特急列車も発着する五番のりばに上がり、目にした光景。
長いホームにぽつんと、どこか肩身狭そうに停まる、全身朱色に紺色の帯を巻いた一両きりのディーゼルカー。
車体の側面には、緑地に白の毛筆体で「枕崎行」と書かれた行き先札。
それを見るなり、豊は父親に聞いた。
「父さん、この汽車、何?」
薄黒く汚れてもいたし、何両も連結した周りの国鉄の列車と比べて、明らかに異質だった。
「南薩線よ、南薩線。知らんのか?」
ぶっきらぼうにただそれだけ答え、乗り込んだ。豊は黙って後に続いた。
室内灯が全て消された客室は、暗かった。
窓は全て開け放され、その向こうに四角く切り取られて広がる、真夏の太陽に照らされた西駅の構内。
車内には扇風機さえなく、窓の外から鉄とディーゼルエンジンの排気の匂いの混じった熱い空気が流れてくるだけ。
黒光りした板張りの床からも、油のような独特の匂いがした。
緑色のビニールレザーの窮屈な座席が並んでおり、だいたい半分ほどのボックスが埋まっていた。
父親はボックスのひとつに腰を下ろし、豊は、その斜向かいに座った。
父親は、胸ポケットの煙草の箱から一本取り出し、ライターで火を点けた。
南薩線のディーゼルカーは、禁煙車でもなく、そもそもその当時は禁煙車というものすらほとんど無かったと思うが、それにも関わらず南薩線の座席には灰皿が無かった。
父親は構わず、灰を窓の下に落とし、吸い終わると窓框でもみ消し、そのまま下の線路に落とした。
今思えば、当時でも表向きは認められないマナー違反の行為ではあっただろうが、黙認はされていたと思う。
そんな時代だった。
カラカラカラカラカラ……
程なくして、発車を知らせる電子ベルの音が流れた。深い息を吐き、身体を左右に揺する父親。
豊は不思議に感じた。
(あれ、父さん、機嫌が良い?)
身体を左右に揺するのは、機嫌の良い現れだと思っていたからだ。
しかし父親は相変わらず難しい顔をしたまま、今度は腕組みをしだした。
ベルが止み、ディーゼルエンジンの音を高鳴らせて、一両きりのディーゼルカーは、ゆっくりと動きだした。
西駅を出て曙陸橋をくぐり、左に国鉄の工場を見ながら右へ大きくカーブして指宿枕崎線と別れ、鹿児島本線をのんびりと走っていく。
寺之下の踏切を過ぎると、急に街並みが途絶えて緑の多い車窓となり、流れ込んでくる風もいくらか涼しくなった。
上り坂になったせいか、余計に速度は落ちたが、それでもそれなりに走っていく。
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……
揺れも少なく、単調にディーゼルカーはレールを刻む。
ふと豊は、父親の眼が柔らかくなったように感じた。どこか楽しげでいるような。
やはり、普段と違って気持ちが弛緩しているようだった。
ディーゼルカーは、トンネルに入った時だけ車内灯が点いた。古ぼけた室内を照らし出す、白熱灯の黄色い光。
薩摩松元を過ぎる頃、父親はウトウトしかけたが、やがて加世田方面への分岐点の伊集院。
「降りるぞ」
「なんで?……このまま加世田まで行かないの?」
豊は戸惑った。父親はこんなことも知らんのか、とでも言いたげに答えた。
「こないだ、梅雨の時に大雨が降ったろ。その時に、途中の日置まで不通になった。だから代行バスが出とる」
確かに、車内の他の乗客たちも、降りる準備をしていた。
ディーゼルカーはゆっくりと速度を落として、伊集院駅のホームに停止。
駅の前には代行バスを待つ列がすでにできていた。西駅から乗ってきた他の乗客たちとともに、豊たちもその後ろに並ぶ。
手書きの「列車代行」の札をフロントガラスに掲げたバスはすぐに来た。
みな乗り終えるとバスはほぼ満席になり、日置に向けて走りだした。
(3)に続く
(1)へ
その日は日曜日だったが、母親は朝から家にいなかった。
西郷団地の実家に帰ったのだと、豊は察した。
前の晩遅くか未明頃か、父親と母親が茶の間で激しく口論する最中に豊は目が覚めた。
しかし、それはよくある事。
蒸し暑い夜で、もうとっくに止まっていた足元の扇風機のタイマーをセットし直し、またすぐに寝た。
しかし眠りに入る前には、胸が強く締め付けられるような悲しさを感じ、その胸を両腕で包み、自分をなだめるように体を丸くして目を閉じた。
その年に入ってから、両親の仲が急に悪くなるのを豊は子供心にも感じ取っていた。
もとから少なかった二人の間の会話が途絶え、休日に家族で街や遊園地に行く事も全くなくなっていた。
母親は、諍いの苛立ちを豊かに向けるかのように、彼に辛く当たり、例えば以前ならテストで七十点を取って帰宅しても、
「もうひと頑張りだったのにね」
と微笑んでくれたのに、それが、
「またこんな点を取って来て!」
などと叱責したり、以前は自由に見る事ができた夕方のアニメ番組も、
「こんなのばかり見ていて勉強しないからテストができないの!」
と、チャンネルを変えたりした。
平日の父親の帰りは、日を追うごとに遅くなっていった。時には、豊が寝た後に帰宅する事もあった。
覚えているのは、休日も、背広を着て出勤していく父親の背中。
もともと父親は、それよりずっと以前から家を不在にする事が多かった。だがそれは、仕事に打ち込んでいたためだったのは、確からしい。
当時地場の商社の課長だった父親は、真面目で厳格で無口で、家庭よりも何よりも仕事を最優先にしていた。
豊が抱く当時の父親のイメージは、庭に面した六畳間にテーブルを出し、会社から持ち帰った書類を広げ、常に煙草の煙を吐き出し続け、しかめっ面をして貧乏ゆすりまでしていた、その背中。
少ない楽しみのひとつが、ビールで晩酌をしながら巨人戦のナイター中継を見る事だったが、それでも難しい顔をして、巨人に点が入った時に身体を左右に揺する程度。
豊にとっては、ただおっかなく、近寄りがたい存在。
叱られた事すらほとんど無かったにもかかわらず。
そのように家庭を顧みなかった事が、母親との不仲の根本的な原因だったのは容易に想像できたが、実際に後になってから、母親から幾度となく愚痴として聞かされた。
その、取っ付きにくくて怖い父親と家で二人きりとなってしまった、豊の心細さ。
朝食はテーブルの上に、冷めたご飯と味噌汁、前晩の残りのおかずが用意してあったから良かったが、昼食はどうなるのだろうか。
父親を変に刺激しそうで外に遊びに行くとも言えず、もう読んでしまった学研の学習などを流し読みするだけだったが、その内容は全く頭に入ってこない。
時間だけはゆっくり経過して昼になり、腹も空き始めた頃、父親が部屋に入ってきた。
「父さんな、これから加世田に行くけど、一緒に来るか? 来るな?」
加世田には、父親の実家があった。
父方の祖父母はすでに亡くなっていたが、伯母夫婦と一番下の高校生の従姉が住んでいた。
(苦手な父親と一緒に加世田に行っても、年の離れた従姉はこの頃遊んでくれなくなったし、行きたくないなぁ)
そう逡巡する豊の胸中など無視して、父親は家中の鍵をかけ始めた。
加世田へは、いつものように父親の運転する車で行くのかと思ったが、そのまま歩いて薬師の家を出た。
校庭の隅の、林のように樹々が繁る一角で蝉がせわしく鳴くのを聞きながら、西田小の側を通り、西田本通りのラーメン店で昼食。
食事を終え、閑散とした西鹿児島駅西口までさらに歩いていったが、家を出てからそれまでは、二人ともほとんど無言だった。
西駅西口の小さい窓口で、加世田までの切符を購入。
よく見る国鉄の切符は、子供用は大人用と同じ券面に「小」と赤くスタンプが押してあった。しかし豊が渡された子供用の切符は、大人用の切符の端を鋏で切り落としたものだった。
先を行く父親の背中を追いかけ、湿った匂いのする地下道を抜けて、特急列車も発着する五番のりばに上がり、目にした光景。
長いホームにぽつんと、どこか肩身狭そうに停まる、全身朱色に紺色の帯を巻いた一両きりのディーゼルカー。
車体の側面には、緑地に白の毛筆体で「枕崎行」と書かれた行き先札。
それを見るなり、豊は父親に聞いた。
「父さん、この汽車、何?」
薄黒く汚れてもいたし、何両も連結した周りの国鉄の列車と比べて、明らかに異質だった。
「南薩線よ、南薩線。知らんのか?」
ぶっきらぼうにただそれだけ答え、乗り込んだ。豊は黙って後に続いた。
室内灯が全て消された客室は、暗かった。
窓は全て開け放され、その向こうに四角く切り取られて広がる、真夏の太陽に照らされた西駅の構内。
車内には扇風機さえなく、窓の外から鉄とディーゼルエンジンの排気の匂いの混じった熱い空気が流れてくるだけ。
黒光りした板張りの床からも、油のような独特の匂いがした。
緑色のビニールレザーの窮屈な座席が並んでおり、だいたい半分ほどのボックスが埋まっていた。
父親はボックスのひとつに腰を下ろし、豊は、その斜向かいに座った。
父親は、胸ポケットの煙草の箱から一本取り出し、ライターで火を点けた。
南薩線のディーゼルカーは、禁煙車でもなく、そもそもその当時は禁煙車というものすらほとんど無かったと思うが、それにも関わらず南薩線の座席には灰皿が無かった。
父親は構わず、灰を窓の下に落とし、吸い終わると窓框でもみ消し、そのまま下の線路に落とした。
今思えば、当時でも表向きは認められないマナー違反の行為ではあっただろうが、黙認はされていたと思う。
そんな時代だった。
カラカラカラカラカラ……
程なくして、発車を知らせる電子ベルの音が流れた。深い息を吐き、身体を左右に揺する父親。
豊は不思議に感じた。
(あれ、父さん、機嫌が良い?)
身体を左右に揺するのは、機嫌の良い現れだと思っていたからだ。
しかし父親は相変わらず難しい顔をしたまま、今度は腕組みをしだした。
ベルが止み、ディーゼルエンジンの音を高鳴らせて、一両きりのディーゼルカーは、ゆっくりと動きだした。
西駅を出て曙陸橋をくぐり、左に国鉄の工場を見ながら右へ大きくカーブして指宿枕崎線と別れ、鹿児島本線をのんびりと走っていく。
寺之下の踏切を過ぎると、急に街並みが途絶えて緑の多い車窓となり、流れ込んでくる風もいくらか涼しくなった。
上り坂になったせいか、余計に速度は落ちたが、それでもそれなりに走っていく。
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……
揺れも少なく、単調にディーゼルカーはレールを刻む。
ふと豊は、父親の眼が柔らかくなったように感じた。どこか楽しげでいるような。
やはり、普段と違って気持ちが弛緩しているようだった。
ディーゼルカーは、トンネルに入った時だけ車内灯が点いた。古ぼけた室内を照らし出す、白熱灯の黄色い光。
薩摩松元を過ぎる頃、父親はウトウトしかけたが、やがて加世田方面への分岐点の伊集院。
「降りるぞ」
「なんで?……このまま加世田まで行かないの?」
豊は戸惑った。父親はこんなことも知らんのか、とでも言いたげに答えた。
「こないだ、梅雨の時に大雨が降ったろ。その時に、途中の日置まで不通になった。だから代行バスが出とる」
確かに、車内の他の乗客たちも、降りる準備をしていた。
ディーゼルカーはゆっくりと速度を落として、伊集院駅のホームに停止。
駅の前には代行バスを待つ列がすでにできていた。西駅から乗ってきた他の乗客たちとともに、豊たちもその後ろに並ぶ。
手書きの「列車代行」の札をフロントガラスに掲げたバスはすぐに来た。
みな乗り終えるとバスはほぼ満席になり、日置に向けて走りだした。
(3)に続く
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2018年09月01日
小説 遠い夏の日の南薩線(1)
豊が妻から離婚を切り出されたのは、8月初旬の金曜日の事だった。
蒸し暑い夜だった。
彼は仕事の帰りに、南海なんば発の準急電車を自宅最寄りの泉北高速線の栂・美木多駅で降りた。
それは、普段通りの事。
しかしまっすぐ帰らずに、少し遠回りをして、商業施設の中にあるシネコンへ。
妻には、また残業だとラインを送ってあった。
それもまた普段通りの事。
残業や休日出勤だと嘘をつき、外で自分の時間を過ごすのは、ほぼ毎日の事だった。
その夜も、映画の後に食事までした。
そして、一人息子の淳も寝てしまったはずの時間に帰宅。
玄関からダイニングキッチンにそのまま向かい、ドアを開けた。
目に入ってきたのは、普段はテレビドラマなどを観ている妻の、黙ってテーブルに向かう背中。
「どないした?」
胸を、冷たい風が静かに撫でるのを感じる豊。
しかしわざと明るく声をかけて、妻の向かいに腰を下ろした。
そこで妻が、思い詰めたような表情で、独り言をつぶやくような低く小さい声で豊に告げた言葉。
「もう、私たち、終わりにしようか」
しかし実のところは、豊はさほど驚きもせず、うろたえもしなかった。
無理もない。彼にとっての妻との婚姻関係は、結婚当初から、役所に出した紙切れ一枚ほどの価値しかなかったからだ。
彼は家族という制度に対して、元から懐疑的だった。
小学校の五年生の時に両親が離婚し、父親とも友達とも離れ離れになり、母親の再婚とともに鹿児島から関西に移り住んだ。
その一連の出来事から発する心の混乱が彼の心に、暗い影を落としていた。
そのせいもあってか、幸せな家庭というものは、社会が作り出した欺瞞ではないかとさえ思っていた。
結婚も、成り行きでしたに過ぎず、そのような自分が妻と子供を持っているという事実に時折、得体の知れない恐れと不安さえ感じる事があった。
だから、妻からの離婚話に彼はほとんどショックを受ける事なく、まだ話をしたそうな妻をやんわりと制し、シャワーを浴びてから自分の部屋に入り、そのままベッドに潜り込んだ。
二人は、大阪の大学で同じサークル仲間として知り合った。
友達になり、恋人になり、別れた事もあったがまた近付いて、そのような煮え切らない関係を続けた末になんとなく結婚し、それからすぐに一人っ子の淳を授かった。
結婚から間も無かったので、いわゆる『できちゃった婚』かと思った者も、周りにはいた。
あるいは、
「これだけすぐに子宝に恵まれるって事は、それだけ相性がええんやろ」
と言ってくれる者もいた。
しかし、夫婦仲は良かったかと言えば、それほどでもなかった。と言って、悪かったわけでもなかったが。
どこか希薄な関係ではあった。
表現すれば、夫婦というより、同居人同士に共通の子供がいるかのような関係。
そして今回、離婚の話が持ち上がるまでの経緯も、なんとなくそうなったような感じだった。
年明けから急に豊の仕事が忙しくなり、残業や休日出勤でなかなか家に居られない日が半年ほど続いた。
その間、淳が淋しがっていると妻から聞いたり、淳が書いた「早く帰ってきて。そして遊んで」という内容の手紙を何通か受け取ったりした。
それなのに、仕事が山を越えて、以前ほどの残業も休日出勤も必要なくなったのにもかかわらず、以前のように家を空けがちにしてしまったのだ。
勤務先の部署に残業ぐせのようなものが染み付いてしまい、大してすべき仕事がなくても、同僚たちとだらだらとオフィスに留まりがちになっていた。
しかしそれすら、言い訳かもしれない。
実際に早くオフィスを出ても、同僚たちと飲み食いしたり、あるいは休日も一人で家を出て映画館やカフェに行き、時間をつぶすように過ごしたりした。
家庭を省みなくなったと言うよりは、捨ててしまったと言った方が近いのかもしれない。
しかし、そこに強い意志があった訳でもなく、どちらかと言えば家にいるより一人の方が気楽だったから、という軽い気持ちからだった。
要するに、逃げたのだった。
それほどに弱く、執着もない、妻あるいは家庭との関係。
世間的な建前または伝統的な価値観に照らし合わせると、有り得ない関係なのかもしれない。
しかし、せっかく結婚したのに簡単に別れてしまう夫婦が多い現状を見ると、程度の差こそあれ、自分たちと似たような関係にある夫婦は多いのではないかというのが、豊の感想だった。
言ってしまえば、仮面夫婦。
表面だけは仲の良い家族のように取り繕っていても、結局は他人同士の関係。
しかもそれを、妻の意思とは関係なく、豊一人で作ってしまった。
その末に、かつて彼の両親が離婚の直前にしたような諍いも激しいやり取りもなく、ただ妻から静かに、離婚を切り出された。
翌日からは、彼自身も妻も、そして淳も、どうなるのかは分からない。
しかしとりあえず、眠ろうと思った。
だが、自分の離婚の話に触発されたかのように、小学校5年生の時以来、一度も会えず終いになってしまった亡き父親の事が、強い印象とともに思い出された。
その父親との思い出を代表するものが、互いに離れ離れになる直前に二人で私鉄の南薩線に乗って、鹿児島から加世田まで小旅行した事。
真夏の空の下、ガタガタで草ぼうぼうの線路の上を激しく揺れながら走る、旧式の一両きりのディーゼルカー。
車窓は雑木林や松林や田んぼや畑が列車の進行に合わせて移り変わり、それぞれの匂いがゆっくりと吹き込んできた。
無口で愛想のない父親が珍しく上機嫌で列車に揺られ、普段よりは少し饒舌になっていた。
その思い出が激しくフラッシュバックし、彼はなかなか寝付けず、あまり眠れないまま朝を迎えた。
そして、ほとんど衝動的に加世田を再訪しようと思った。
父親との南薩への小旅行の時に、何か心の中の大切なものを現地に忘れたままになってしまい、それを急に思い出した、そのような気がしてきて、それを取り戻せずには居られない思いが湧いてきた。
まだ妻と息子が寝ているうちに財布とスマホだけ持って家を出て、栂・美木多の駅から中百舌鳥駅まで行き、そこで地下鉄御堂筋線に乗り換え、さらに新大阪で鹿児島中央行きの新幹線に乗り換えた。
時速300キロで山陽路を疾走する『みずほ号』の速さすら、もどかしく感じる思いだった。
(2)に続く
蒸し暑い夜だった。
彼は仕事の帰りに、南海なんば発の準急電車を自宅最寄りの泉北高速線の栂・美木多駅で降りた。
それは、普段通りの事。
しかしまっすぐ帰らずに、少し遠回りをして、商業施設の中にあるシネコンへ。
妻には、また残業だとラインを送ってあった。
それもまた普段通りの事。
残業や休日出勤だと嘘をつき、外で自分の時間を過ごすのは、ほぼ毎日の事だった。
その夜も、映画の後に食事までした。
そして、一人息子の淳も寝てしまったはずの時間に帰宅。
玄関からダイニングキッチンにそのまま向かい、ドアを開けた。
目に入ってきたのは、普段はテレビドラマなどを観ている妻の、黙ってテーブルに向かう背中。
「どないした?」
胸を、冷たい風が静かに撫でるのを感じる豊。
しかしわざと明るく声をかけて、妻の向かいに腰を下ろした。
そこで妻が、思い詰めたような表情で、独り言をつぶやくような低く小さい声で豊に告げた言葉。
「もう、私たち、終わりにしようか」
しかし実のところは、豊はさほど驚きもせず、うろたえもしなかった。
無理もない。彼にとっての妻との婚姻関係は、結婚当初から、役所に出した紙切れ一枚ほどの価値しかなかったからだ。
彼は家族という制度に対して、元から懐疑的だった。
小学校の五年生の時に両親が離婚し、父親とも友達とも離れ離れになり、母親の再婚とともに鹿児島から関西に移り住んだ。
その一連の出来事から発する心の混乱が彼の心に、暗い影を落としていた。
そのせいもあってか、幸せな家庭というものは、社会が作り出した欺瞞ではないかとさえ思っていた。
結婚も、成り行きでしたに過ぎず、そのような自分が妻と子供を持っているという事実に時折、得体の知れない恐れと不安さえ感じる事があった。
だから、妻からの離婚話に彼はほとんどショックを受ける事なく、まだ話をしたそうな妻をやんわりと制し、シャワーを浴びてから自分の部屋に入り、そのままベッドに潜り込んだ。
二人は、大阪の大学で同じサークル仲間として知り合った。
友達になり、恋人になり、別れた事もあったがまた近付いて、そのような煮え切らない関係を続けた末になんとなく結婚し、それからすぐに一人っ子の淳を授かった。
結婚から間も無かったので、いわゆる『できちゃった婚』かと思った者も、周りにはいた。
あるいは、
「これだけすぐに子宝に恵まれるって事は、それだけ相性がええんやろ」
と言ってくれる者もいた。
しかし、夫婦仲は良かったかと言えば、それほどでもなかった。と言って、悪かったわけでもなかったが。
どこか希薄な関係ではあった。
表現すれば、夫婦というより、同居人同士に共通の子供がいるかのような関係。
そして今回、離婚の話が持ち上がるまでの経緯も、なんとなくそうなったような感じだった。
年明けから急に豊の仕事が忙しくなり、残業や休日出勤でなかなか家に居られない日が半年ほど続いた。
その間、淳が淋しがっていると妻から聞いたり、淳が書いた「早く帰ってきて。そして遊んで」という内容の手紙を何通か受け取ったりした。
それなのに、仕事が山を越えて、以前ほどの残業も休日出勤も必要なくなったのにもかかわらず、以前のように家を空けがちにしてしまったのだ。
勤務先の部署に残業ぐせのようなものが染み付いてしまい、大してすべき仕事がなくても、同僚たちとだらだらとオフィスに留まりがちになっていた。
しかしそれすら、言い訳かもしれない。
実際に早くオフィスを出ても、同僚たちと飲み食いしたり、あるいは休日も一人で家を出て映画館やカフェに行き、時間をつぶすように過ごしたりした。
家庭を省みなくなったと言うよりは、捨ててしまったと言った方が近いのかもしれない。
しかし、そこに強い意志があった訳でもなく、どちらかと言えば家にいるより一人の方が気楽だったから、という軽い気持ちからだった。
要するに、逃げたのだった。
それほどに弱く、執着もない、妻あるいは家庭との関係。
世間的な建前または伝統的な価値観に照らし合わせると、有り得ない関係なのかもしれない。
しかし、せっかく結婚したのに簡単に別れてしまう夫婦が多い現状を見ると、程度の差こそあれ、自分たちと似たような関係にある夫婦は多いのではないかというのが、豊の感想だった。
言ってしまえば、仮面夫婦。
表面だけは仲の良い家族のように取り繕っていても、結局は他人同士の関係。
しかもそれを、妻の意思とは関係なく、豊一人で作ってしまった。
その末に、かつて彼の両親が離婚の直前にしたような諍いも激しいやり取りもなく、ただ妻から静かに、離婚を切り出された。
翌日からは、彼自身も妻も、そして淳も、どうなるのかは分からない。
しかしとりあえず、眠ろうと思った。
だが、自分の離婚の話に触発されたかのように、小学校5年生の時以来、一度も会えず終いになってしまった亡き父親の事が、強い印象とともに思い出された。
その父親との思い出を代表するものが、互いに離れ離れになる直前に二人で私鉄の南薩線に乗って、鹿児島から加世田まで小旅行した事。
真夏の空の下、ガタガタで草ぼうぼうの線路の上を激しく揺れながら走る、旧式の一両きりのディーゼルカー。
車窓は雑木林や松林や田んぼや畑が列車の進行に合わせて移り変わり、それぞれの匂いがゆっくりと吹き込んできた。
無口で愛想のない父親が珍しく上機嫌で列車に揺られ、普段よりは少し饒舌になっていた。
その思い出が激しくフラッシュバックし、彼はなかなか寝付けず、あまり眠れないまま朝を迎えた。
そして、ほとんど衝動的に加世田を再訪しようと思った。
父親との南薩への小旅行の時に、何か心の中の大切なものを現地に忘れたままになってしまい、それを急に思い出した、そのような気がしてきて、それを取り戻せずには居られない思いが湧いてきた。
まだ妻と息子が寝ているうちに財布とスマホだけ持って家を出て、栂・美木多の駅から中百舌鳥駅まで行き、そこで地下鉄御堂筋線に乗り換え、さらに新大阪で鹿児島中央行きの新幹線に乗り換えた。
時速300キロで山陽路を疾走する『みずほ号』の速さすら、もどかしく感じる思いだった。
(2)に続く