2013年08月31日
夏の終わりに夏のイラスト
猛暑猛暑の夏も、もう終わりですね。
ワタクシの庭の朝顔もゴーヤもひまわりも枯れてしまい、百日草とヘリクリサムだけが辛うじて彩りを残しています。
ここ数日は、クーラーなしで寝ています。
時には、寒さを感じて目が覚める朝もあります。
そして、ツクツクホウシの合唱を聞くと、もの寂しさと、原因不明の焦りとを感じてしまいます。
そんな時、過ぎ行く夏を惜しんで、真夏らしいイラストをひとつ。

勤め先の、8月用のイラスト。
この絵を描いていたとき、まだワタクシたちの子どもは産まれていませんでした。
これから産まれる子をイメージして描きました。
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ワタクシの庭の朝顔もゴーヤもひまわりも枯れてしまい、百日草とヘリクリサムだけが辛うじて彩りを残しています。
ここ数日は、クーラーなしで寝ています。
時には、寒さを感じて目が覚める朝もあります。
そして、ツクツクホウシの合唱を聞くと、もの寂しさと、原因不明の焦りとを感じてしまいます。
そんな時、過ぎ行く夏を惜しんで、真夏らしいイラストをひとつ。

勤め先の、8月用のイラスト。
この絵を描いていたとき、まだワタクシたちの子どもは産まれていませんでした。
これから産まれる子をイメージして描きました。
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2013年08月28日
産まれました!
40を目前に結婚したワタクシたち。
子供については、長期戦を覚悟していました・・・少なくともワタクシは。
ところが、あわてもののコウノトリがいたようで、結婚してから2か月を待たずにご懐妊と相成りました。
そして・・・私たちの赤ちゃんはどうやら活発な性格らしく、オカミサンのお腹の中にいるうちからポコポコ、グリグリと動き回り、ついには早くおんもへ出たいとばかりに、予定日より2週間も早く産まれてきました。
8月27日・・・夏休みの宿題が追い込みで半泣き状態の頃に、この子は誕生日を迎えることになるのですがね。
昨日の朝のこと。
なんだか幸せな夢を見たけど、中身を思い出せないような気分で、布団の上でゴロゴロしていました。
連日の猛暑がウソのように、急に涼しくなって、寒ささえ感じた朝でした。
新聞を読もうと起き上がろうとしたとき、枕元に置いたケータイが鳴りました。
見ると、発信者は里帰り中のオカミサン。
ワタクシは直感で、夢の正体を悟り、
「ああ、来たか」
と妙に落ち着いてケータイのボタンをぷちっと押しました。
すでに正常出産の期間に入っていて、いつ産まれてもおかしくないという事で、ワタクシは毎日飲んでいた大好きな大好きなお酒も断って、備えていたのです。
はたして、昨夜破水して、もう入院したという連絡。
けれども、その時点では、夜から翌朝にかけて産まれるだろう、ということでした。
だからワタクシは、普段どおり勤め先に出勤して、けれども午前中で早退するつもりでいました。
出勤はしたけれど、当然のことながら仕事は手に付きません。
そのうち、事情を知った室長から、
「はよ帰ってやらんか!」
と一喝され、退勤。
自宅に帰ってのんびり準備し、デジカメをカバンに入れて、赤ちゃんと会うのだからとシャワーで念入りに体を洗って、午前10時半ごろだったか、オカミサンの里帰り先の町に出発。
途中、ロードサイドのショッピングセンターに立ち寄り、オカミサンからの頼まれ物を買って、

フードコートでマーボー定食など食べたりして、昼の1時に産院に到着。
朝の電話では、午後に陣痛が来はじめるだろう、ということでした。
ところが。
すでに陣痛は始まっていました。
しかも出産まであと少しという段階。
断続的な陣痛に苦しむオカミサンを前に、ワタクシはただただオロオロ。
助産師さんだけが落ち着いて、オカミサンに声をかけたり、励ましたりしていました。
そのうちにオカミサンは分娩室に移され、立会いする事になっていたワタクシもピンクの上っ張りを着せられて、あれよあれよという間に出産。
・・・とは言え、オカミサンにつられて意味もなく力んでいたワタクシは、足が痙攣してしまいましたが。
助産師さんもお医者さんも驚くくらいの安産で、力強く泣き声をあげる女の子が産まれました。
思わずワタクシは泣いてしまいました。
オカミサンも、泣いていました。
産院のスタッフの方々がカメラを用意していて、「はい、こっち向いて」「今度はこっちを向いて」という感じで記念撮影。
ワタクシは自分で持ってきたカメラを出せずじまいでした。
それから、実家から知らせを聞いてやってきたオカミサンのご両親と、鹿児島からバスでやってきたワタクシのハハオヤも一緒になって、夜の9時までの面会時間ぎりぎりまで産院で粘って、ガラス越しに赤ちゃんを眺めていました。

この子が成長し、大人になるころには、どんな日本、どんな世界になっているのでしょうか。
産まれてきた子供たちが健やかに暮らせるような世界を、ワタクシたち大人は作っていかねばなりますまい。
この子がオカミサンのお腹の中にいる間に40歳を迎え、この子が成人する頃には間違いなく還暦になっているワタクシ個人的にも、今まで以上に仕事に励んで家庭に幸せを持って帰り、家族みんなで明るく楽しく温かい家庭を作っていこうと、激しく感じました。
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子供については、長期戦を覚悟していました・・・少なくともワタクシは。
ところが、あわてもののコウノトリがいたようで、結婚してから2か月を待たずにご懐妊と相成りました。
そして・・・私たちの赤ちゃんはどうやら活発な性格らしく、オカミサンのお腹の中にいるうちからポコポコ、グリグリと動き回り、ついには早くおんもへ出たいとばかりに、予定日より2週間も早く産まれてきました。
8月27日・・・夏休みの宿題が追い込みで半泣き状態の頃に、この子は誕生日を迎えることになるのですがね。
昨日の朝のこと。
なんだか幸せな夢を見たけど、中身を思い出せないような気分で、布団の上でゴロゴロしていました。
連日の猛暑がウソのように、急に涼しくなって、寒ささえ感じた朝でした。
新聞を読もうと起き上がろうとしたとき、枕元に置いたケータイが鳴りました。
見ると、発信者は里帰り中のオカミサン。
ワタクシは直感で、夢の正体を悟り、
「ああ、来たか」
と妙に落ち着いてケータイのボタンをぷちっと押しました。
すでに正常出産の期間に入っていて、いつ産まれてもおかしくないという事で、ワタクシは毎日飲んでいた大好きな大好きなお酒も断って、備えていたのです。
はたして、昨夜破水して、もう入院したという連絡。
けれども、その時点では、夜から翌朝にかけて産まれるだろう、ということでした。
だからワタクシは、普段どおり勤め先に出勤して、けれども午前中で早退するつもりでいました。
出勤はしたけれど、当然のことながら仕事は手に付きません。
そのうち、事情を知った室長から、
「はよ帰ってやらんか!」
と一喝され、退勤。
自宅に帰ってのんびり準備し、デジカメをカバンに入れて、赤ちゃんと会うのだからとシャワーで念入りに体を洗って、午前10時半ごろだったか、オカミサンの里帰り先の町に出発。
途中、ロードサイドのショッピングセンターに立ち寄り、オカミサンからの頼まれ物を買って、
フードコートでマーボー定食など食べたりして、昼の1時に産院に到着。
朝の電話では、午後に陣痛が来はじめるだろう、ということでした。
ところが。
すでに陣痛は始まっていました。
しかも出産まであと少しという段階。
断続的な陣痛に苦しむオカミサンを前に、ワタクシはただただオロオロ。
助産師さんだけが落ち着いて、オカミサンに声をかけたり、励ましたりしていました。
そのうちにオカミサンは分娩室に移され、立会いする事になっていたワタクシもピンクの上っ張りを着せられて、あれよあれよという間に出産。
・・・とは言え、オカミサンにつられて意味もなく力んでいたワタクシは、足が痙攣してしまいましたが。
助産師さんもお医者さんも驚くくらいの安産で、力強く泣き声をあげる女の子が産まれました。
思わずワタクシは泣いてしまいました。
オカミサンも、泣いていました。
産院のスタッフの方々がカメラを用意していて、「はい、こっち向いて」「今度はこっちを向いて」という感じで記念撮影。
ワタクシは自分で持ってきたカメラを出せずじまいでした。
それから、実家から知らせを聞いてやってきたオカミサンのご両親と、鹿児島からバスでやってきたワタクシのハハオヤも一緒になって、夜の9時までの面会時間ぎりぎりまで産院で粘って、ガラス越しに赤ちゃんを眺めていました。
この子が成長し、大人になるころには、どんな日本、どんな世界になっているのでしょうか。
産まれてきた子供たちが健やかに暮らせるような世界を、ワタクシたち大人は作っていかねばなりますまい。
この子がオカミサンのお腹の中にいる間に40歳を迎え、この子が成人する頃には間違いなく還暦になっているワタクシ個人的にも、今まで以上に仕事に励んで家庭に幸せを持って帰り、家族みんなで明るく楽しく温かい家庭を作っていこうと、激しく感じました。
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2013年08月25日
とにかく鶏がウマイ! 溝辺の「食楽々」
私事になりますが、ワタクシは溝辺の空港近くに4年間住んでいました。
アパートから徒歩1分くらいのところに、おいしい鶏肉屋さんがありました。
坂留鶏肉店がやっている、「鶏幸房」
→ http://www.sakadome.com/

いや~、ここの唐揚は、サクッとして、中はジューシー。
冷めてもおいしいけど、オーブンで温めなおすと、揚げたてのおいしさが復活します。
もちろん、揚げたてがいちばんおいしいです。
揚げたてのを買って持って帰って、熱いうちにビールと一緒にいただくと、もう最高。
さて。
この「鶏工房」の裏に、食堂・・・というよりは和レストランが開店しました。
その名も、「食楽々」
坂留鶏肉店が経営する、お食事の店です。
ワタクシは「しょくらくらく」と読んでいましたが、「くらら」が正しいようです・・・
→ http://www.wa-clara.com/
おいしいものを食べたいなぁ~という時は、よく行ってました。
おしゃれなお店なのですが、お値段も昼の定食が800~900円ととてもリーズナブルです。
で、先日・・・といっても初夏の頃でしたが、また、うちのオカミサンとふたりで一緒に行ってきました。

こんな外観。
ちなみに中は、座敷とテーブルが基本で、テーブル席も暖簾で半個室のようになって、落ち着けます。

ワタクシが注文した、唐揚定食。

オカミサンが注文したチキン南蛮定食。
いやいや、いつ食べてもおいしい!
オカミサンも大満足でした。
オカミサンが感心したというのは、女性用のお手洗いには、綿棒、簡単なお化粧品などの他に、空港から歩いてきて靴擦れを起こした人のための傷テープまで揃えてあって、女性には嬉しい気遣いがしてあったということ。
・・・男性用のお手洗いには、店主の趣味なのかどうなのか、フィギュアやプラモが並んでいるだけでしたが・・・。
安くて、おいしくて、お腹いっぱい食べられて、そして落ち着けるお店。
空港近くに行った時は、ぜひどうぞ。
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アパートから徒歩1分くらいのところに、おいしい鶏肉屋さんがありました。
坂留鶏肉店がやっている、「鶏幸房」
→ http://www.sakadome.com/
いや~、ここの唐揚は、サクッとして、中はジューシー。
冷めてもおいしいけど、オーブンで温めなおすと、揚げたてのおいしさが復活します。
もちろん、揚げたてがいちばんおいしいです。
揚げたてのを買って持って帰って、熱いうちにビールと一緒にいただくと、もう最高。
さて。
この「鶏工房」の裏に、食堂・・・というよりは和レストランが開店しました。
その名も、「食楽々」
坂留鶏肉店が経営する、お食事の店です。
ワタクシは「しょくらくらく」と読んでいましたが、「くらら」が正しいようです・・・
→ http://www.wa-clara.com/
おいしいものを食べたいなぁ~という時は、よく行ってました。
おしゃれなお店なのですが、お値段も昼の定食が800~900円ととてもリーズナブルです。
で、先日・・・といっても初夏の頃でしたが、また、うちのオカミサンとふたりで一緒に行ってきました。
こんな外観。
ちなみに中は、座敷とテーブルが基本で、テーブル席も暖簾で半個室のようになって、落ち着けます。
ワタクシが注文した、唐揚定食。
オカミサンが注文したチキン南蛮定食。
いやいや、いつ食べてもおいしい!
オカミサンも大満足でした。
オカミサンが感心したというのは、女性用のお手洗いには、綿棒、簡単なお化粧品などの他に、空港から歩いてきて靴擦れを起こした人のための傷テープまで揃えてあって、女性には嬉しい気遣いがしてあったということ。
・・・男性用のお手洗いには、店主の趣味なのかどうなのか、フィギュアやプラモが並んでいるだけでしたが・・・。
安くて、おいしくて、お腹いっぱい食べられて、そして落ち着けるお店。
空港近くに行った時は、ぜひどうぞ。
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2013年08月22日
田上にオープン! さくらじまという名のカレー屋さん
田上の天神寺之下から、大牧トンネル方面へJRの線路沿いに進むと、クルマを減速せずにいられない急カーブがあります。
そこに、カレー屋さんが開店準備中で、とても気になっていました。
くどいようですが、ワタクシ、三度のご飯よりもカレーが好きな人間なので。
だから、毎朝カレーを食べているというイチロー選手が日米通算4000本安打を達成したというニュースは、余計に嬉しいです。
話を戻して。
で、そのカレー屋さん、「さくらじま Jacob Spice」という名前なのですが、開店の日を待ち焦がれていました。
会社帰りに通る道なのですが、開店を待つ店の前を通るたびに、思わずお腹が鳴ってしまうような・・・。
そしてオープンの日。
奇しくも桜島が大きめの噴火をしてドカ灰が市内を襲った日の翌日、8月19日。
会社帰りに立ち寄りましたが、なんと「売り切れ」との事。
その翌日も、店は閉まっていました。
そして3日目の水曜日。
ようやく営業中のお店に入る事ができました。

もう周りは真っ暗な時間。

カフェのような店内です。
メニューは・・・
カレーが4種類。(野菜、チキン、豚、海老)
それから、手作りプリン。
ドリンクは豊富。お酒も種類が揃っていました。
なんだか、質素というか簡素な品揃え。

ワタクシが注文したのは、豚のカレー。
1050円なり。
少々高く感じましたが、食べてみると、お値段以上の味と香りでした。
豚ばら肉のかたまりが、とてもおいしい。
カレーソースも、ちょっと辛めで、複雑系の深い味がして、ワタクシはこういう味が大好きです。
ワタクシとしては大満足したのですが、どうせならお酒に合うようなちょっとしたメニューもあればいいのになぁ・・・と思いました。
せっかく雰囲気のいいお店なのだから。
(追記:一応、おつまみメニューも考えているそうです)
ツイッターで知ったのですが、まだ若い店主ご夫妻は、東京からUターンしてこの店を開いたそう。
懐に余裕のあるときは、何度でも行きたいお店。でした。
駐車場4台くらいあります。
そこに、カレー屋さんが開店準備中で、とても気になっていました。
くどいようですが、ワタクシ、三度のご飯よりもカレーが好きな人間なので。
だから、毎朝カレーを食べているというイチロー選手が日米通算4000本安打を達成したというニュースは、余計に嬉しいです。
話を戻して。
で、そのカレー屋さん、「さくらじま Jacob Spice」という名前なのですが、開店の日を待ち焦がれていました。
会社帰りに通る道なのですが、開店を待つ店の前を通るたびに、思わずお腹が鳴ってしまうような・・・。
そしてオープンの日。
奇しくも桜島が大きめの噴火をしてドカ灰が市内を襲った日の翌日、8月19日。
会社帰りに立ち寄りましたが、なんと「売り切れ」との事。
その翌日も、店は閉まっていました。
そして3日目の水曜日。
ようやく営業中のお店に入る事ができました。
もう周りは真っ暗な時間。
カフェのような店内です。
メニューは・・・
カレーが4種類。(野菜、チキン、豚、海老)
それから、手作りプリン。
ドリンクは豊富。お酒も種類が揃っていました。
なんだか、質素というか簡素な品揃え。
ワタクシが注文したのは、豚のカレー。
1050円なり。
少々高く感じましたが、食べてみると、お値段以上の味と香りでした。
豚ばら肉のかたまりが、とてもおいしい。
カレーソースも、ちょっと辛めで、複雑系の深い味がして、ワタクシはこういう味が大好きです。
ワタクシとしては大満足したのですが、どうせならお酒に合うようなちょっとしたメニューもあればいいのになぁ・・・と思いました。
せっかく雰囲気のいいお店なのだから。
(追記:一応、おつまみメニューも考えているそうです)
ツイッターで知ったのですが、まだ若い店主ご夫妻は、東京からUターンしてこの店を開いたそう。
懐に余裕のあるときは、何度でも行きたいお店。でした。
駐車場4台くらいあります。
2013年08月20日
水を求めてドライブ
私事になりますが、ワタクシのオカミサンは出産準備のため、現在実家に帰っています。
お盆休みのある日、ひとりで家にいるのも寂しくて、それに毎日毎日暑いし、水を求めて遠出してみました。
鹿児島市内の家を出る頃にはすでにカンカン照り。
エアコンも効きが悪い中、クルマで出発。
まずは、旧郡山町を抜けて、国道328号線を薩摩川内方面へ。
入来峠のすぐ手前を左折して、「甲突池」の道しるべをたよりに走ることしばし。

甲突川源流の甲突池。
周囲はこんな棚田が広がるところ。

いや~、涼しい!
甲突池は、この棚田に水を引くために、周囲の清水を集めて造られた池なのだそうです。
もっとのんびりしたいのですが、またクルマを走らせて、入来峠を越えて薩摩川内市へ。
そしてさらに、川内川沿いをさつま町へ。
県道404号線を川の上流へと走っていくと、鶴田ダムが現れます。
治水と発電を目的に、1965年(昭和40年)に完成した、九州最大規模の重力式ダムです。

しかし再開発工事中。
工事が終わると、貯水量は1.3倍に増えるそうです。
途中いくつもの橋を渡りながら、さらに上流に向かうと・・・

・・・なんと、野生の鹿と出会いました!
上流に向かうにつれて、左に見るダム湖はだんだんと細くなってきて、やがて川のようになるあたりに、レンガ造りの遺構があります。

1909年(明治42年)に建設され、1964年(昭和39年)に鶴田ダムの完成により役目を終えた、旧曽木発電所跡。
現存する、鹿児島県唯一の明治時代のレンガ造り建築とも言われています。
明治~昭和時代の実業家・野口遵によってこの発電所は造られました。
ここから送られた電気を利用して、熊本の水俣でカーバイド工業が始まりました。
これが後に日本15大財閥に数えられる日窒コンツェルンの第一歩になったのです。
日窒コンツェルンは戦後、GHQの財閥解体により解散し、現在はJNC、積水化学、旭化成、信越化学、センコーなどとして残っています。
ただ、JNCは戦後の高度成長期に水俣病を引き起こした負の歴史もありますが・・・。
ここに発電所を建設するヒントになったと言われているのが、そのすぐ上流にある曽木の滝の水量と落差。

言わずと知れた、東洋のナイアガラ。
日差しは痛いほどですが、水のある光景というのは、心には涼しく感じられて良いですねぇ~。
曽木の滝のすぐそばに、旧曽木発電所の取水堰の跡が残っています。

この取水堰、今年(2013年)完成した小水力発電の新曽木発電所取水堰として再利用されています。
また、滝の近くには、旧曽木発電所の水路の跡であるトンネルも残っています。

トンネルの中に入ったとたん、ヒヤッとした冷気に包まれて、気持ちが良かった~。
しかし・・・相変わらずの快晴。
ここで一雨ほしいところ・・・と思いながら曽木の滝を後にして、快適な農免道路を抜けて、栗野へ。
旧栗野町は、となりの吉松町と合併して、湧水町となりましたが、その由来が、豊富な水。
栗野駅のすぐ裏にある、丸池水源。

1日6万トンの水が湧き出すこの池は、この辺り一帯の水道原水でもあり、農業用水源でもあります。
さて、ここにきて、栗野岳のあたりに黒い雲が湧いてきて、雷も鳴りだしました。
そして・・・栗野を離れて鹿児島に帰る途中、横川のあたりで夕立に出会いました。

長い距離を走ってきたクルマも、これでリフレッシュできたでしょうか?
いいドライブでした。
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お盆休みのある日、ひとりで家にいるのも寂しくて、それに毎日毎日暑いし、水を求めて遠出してみました。
鹿児島市内の家を出る頃にはすでにカンカン照り。
エアコンも効きが悪い中、クルマで出発。
まずは、旧郡山町を抜けて、国道328号線を薩摩川内方面へ。
入来峠のすぐ手前を左折して、「甲突池」の道しるべをたよりに走ることしばし。
甲突川源流の甲突池。
周囲はこんな棚田が広がるところ。
いや~、涼しい!
甲突池は、この棚田に水を引くために、周囲の清水を集めて造られた池なのだそうです。
もっとのんびりしたいのですが、またクルマを走らせて、入来峠を越えて薩摩川内市へ。
そしてさらに、川内川沿いをさつま町へ。
県道404号線を川の上流へと走っていくと、鶴田ダムが現れます。
治水と発電を目的に、1965年(昭和40年)に完成した、九州最大規模の重力式ダムです。
しかし再開発工事中。
工事が終わると、貯水量は1.3倍に増えるそうです。
途中いくつもの橋を渡りながら、さらに上流に向かうと・・・
・・・なんと、野生の鹿と出会いました!
上流に向かうにつれて、左に見るダム湖はだんだんと細くなってきて、やがて川のようになるあたりに、レンガ造りの遺構があります。
1909年(明治42年)に建設され、1964年(昭和39年)に鶴田ダムの完成により役目を終えた、旧曽木発電所跡。
現存する、鹿児島県唯一の明治時代のレンガ造り建築とも言われています。
明治~昭和時代の実業家・野口遵によってこの発電所は造られました。
ここから送られた電気を利用して、熊本の水俣でカーバイド工業が始まりました。
これが後に日本15大財閥に数えられる日窒コンツェルンの第一歩になったのです。
日窒コンツェルンは戦後、GHQの財閥解体により解散し、現在はJNC、積水化学、旭化成、信越化学、センコーなどとして残っています。
ただ、JNCは戦後の高度成長期に水俣病を引き起こした負の歴史もありますが・・・。
ここに発電所を建設するヒントになったと言われているのが、そのすぐ上流にある曽木の滝の水量と落差。
言わずと知れた、東洋のナイアガラ。
日差しは痛いほどですが、水のある光景というのは、心には涼しく感じられて良いですねぇ~。
曽木の滝のすぐそばに、旧曽木発電所の取水堰の跡が残っています。
この取水堰、今年(2013年)完成した小水力発電の新曽木発電所取水堰として再利用されています。
また、滝の近くには、旧曽木発電所の水路の跡であるトンネルも残っています。
トンネルの中に入ったとたん、ヒヤッとした冷気に包まれて、気持ちが良かった~。
しかし・・・相変わらずの快晴。
ここで一雨ほしいところ・・・と思いながら曽木の滝を後にして、快適な農免道路を抜けて、栗野へ。
旧栗野町は、となりの吉松町と合併して、湧水町となりましたが、その由来が、豊富な水。
栗野駅のすぐ裏にある、丸池水源。
1日6万トンの水が湧き出すこの池は、この辺り一帯の水道原水でもあり、農業用水源でもあります。
さて、ここにきて、栗野岳のあたりに黒い雲が湧いてきて、雷も鳴りだしました。
そして・・・栗野を離れて鹿児島に帰る途中、横川のあたりで夕立に出会いました。
長い距離を走ってきたクルマも、これでリフレッシュできたでしょうか?
いいドライブでした。
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