2013年08月20日
水を求めてドライブ
私事になりますが、ワタクシのオカミサンは出産準備のため、現在実家に帰っています。
お盆休みのある日、ひとりで家にいるのも寂しくて、それに毎日毎日暑いし、水を求めて遠出してみました。
鹿児島市内の家を出る頃にはすでにカンカン照り。
エアコンも効きが悪い中、クルマで出発。
まずは、旧郡山町を抜けて、国道328号線を薩摩川内方面へ。
入来峠のすぐ手前を左折して、「甲突池」の道しるべをたよりに走ることしばし。

甲突川源流の甲突池。
周囲はこんな棚田が広がるところ。

いや~、涼しい!
甲突池は、この棚田に水を引くために、周囲の清水を集めて造られた池なのだそうです。
もっとのんびりしたいのですが、またクルマを走らせて、入来峠を越えて薩摩川内市へ。
そしてさらに、川内川沿いをさつま町へ。
県道404号線を川の上流へと走っていくと、鶴田ダムが現れます。
治水と発電を目的に、1965年(昭和40年)に完成した、九州最大規模の重力式ダムです。

しかし再開発工事中。
工事が終わると、貯水量は1.3倍に増えるそうです。
途中いくつもの橋を渡りながら、さらに上流に向かうと・・・

・・・なんと、野生の鹿と出会いました!
上流に向かうにつれて、左に見るダム湖はだんだんと細くなってきて、やがて川のようになるあたりに、レンガ造りの遺構があります。

1909年(明治42年)に建設され、1964年(昭和39年)に鶴田ダムの完成により役目を終えた、旧曽木発電所跡。
現存する、鹿児島県唯一の明治時代のレンガ造り建築とも言われています。
明治~昭和時代の実業家・野口遵によってこの発電所は造られました。
ここから送られた電気を利用して、熊本の水俣でカーバイド工業が始まりました。
これが後に日本15大財閥に数えられる日窒コンツェルンの第一歩になったのです。
日窒コンツェルンは戦後、GHQの財閥解体により解散し、現在はJNC、積水化学、旭化成、信越化学、センコーなどとして残っています。
ただ、JNCは戦後の高度成長期に水俣病を引き起こした負の歴史もありますが・・・。
ここに発電所を建設するヒントになったと言われているのが、そのすぐ上流にある曽木の滝の水量と落差。

言わずと知れた、東洋のナイアガラ。
日差しは痛いほどですが、水のある光景というのは、心には涼しく感じられて良いですねぇ~。
曽木の滝のすぐそばに、旧曽木発電所の取水堰の跡が残っています。

この取水堰、今年(2013年)完成した小水力発電の新曽木発電所取水堰として再利用されています。
また、滝の近くには、旧曽木発電所の水路の跡であるトンネルも残っています。

トンネルの中に入ったとたん、ヒヤッとした冷気に包まれて、気持ちが良かった~。
しかし・・・相変わらずの快晴。
ここで一雨ほしいところ・・・と思いながら曽木の滝を後にして、快適な農免道路を抜けて、栗野へ。
旧栗野町は、となりの吉松町と合併して、湧水町となりましたが、その由来が、豊富な水。
栗野駅のすぐ裏にある、丸池水源。

1日6万トンの水が湧き出すこの池は、この辺り一帯の水道原水でもあり、農業用水源でもあります。
さて、ここにきて、栗野岳のあたりに黒い雲が湧いてきて、雷も鳴りだしました。
そして・・・栗野を離れて鹿児島に帰る途中、横川のあたりで夕立に出会いました。

長い距離を走ってきたクルマも、これでリフレッシュできたでしょうか?
いいドライブでした。
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お盆休みのある日、ひとりで家にいるのも寂しくて、それに毎日毎日暑いし、水を求めて遠出してみました。
鹿児島市内の家を出る頃にはすでにカンカン照り。
エアコンも効きが悪い中、クルマで出発。
まずは、旧郡山町を抜けて、国道328号線を薩摩川内方面へ。
入来峠のすぐ手前を左折して、「甲突池」の道しるべをたよりに走ることしばし。
甲突川源流の甲突池。
周囲はこんな棚田が広がるところ。
いや~、涼しい!
甲突池は、この棚田に水を引くために、周囲の清水を集めて造られた池なのだそうです。
もっとのんびりしたいのですが、またクルマを走らせて、入来峠を越えて薩摩川内市へ。
そしてさらに、川内川沿いをさつま町へ。
県道404号線を川の上流へと走っていくと、鶴田ダムが現れます。
治水と発電を目的に、1965年(昭和40年)に完成した、九州最大規模の重力式ダムです。
しかし再開発工事中。
工事が終わると、貯水量は1.3倍に増えるそうです。
途中いくつもの橋を渡りながら、さらに上流に向かうと・・・
・・・なんと、野生の鹿と出会いました!
上流に向かうにつれて、左に見るダム湖はだんだんと細くなってきて、やがて川のようになるあたりに、レンガ造りの遺構があります。
1909年(明治42年)に建設され、1964年(昭和39年)に鶴田ダムの完成により役目を終えた、旧曽木発電所跡。
現存する、鹿児島県唯一の明治時代のレンガ造り建築とも言われています。
明治~昭和時代の実業家・野口遵によってこの発電所は造られました。
ここから送られた電気を利用して、熊本の水俣でカーバイド工業が始まりました。
これが後に日本15大財閥に数えられる日窒コンツェルンの第一歩になったのです。
日窒コンツェルンは戦後、GHQの財閥解体により解散し、現在はJNC、積水化学、旭化成、信越化学、センコーなどとして残っています。
ただ、JNCは戦後の高度成長期に水俣病を引き起こした負の歴史もありますが・・・。
ここに発電所を建設するヒントになったと言われているのが、そのすぐ上流にある曽木の滝の水量と落差。
言わずと知れた、東洋のナイアガラ。
日差しは痛いほどですが、水のある光景というのは、心には涼しく感じられて良いですねぇ~。
曽木の滝のすぐそばに、旧曽木発電所の取水堰の跡が残っています。
この取水堰、今年(2013年)完成した小水力発電の新曽木発電所取水堰として再利用されています。
また、滝の近くには、旧曽木発電所の水路の跡であるトンネルも残っています。
トンネルの中に入ったとたん、ヒヤッとした冷気に包まれて、気持ちが良かった~。
しかし・・・相変わらずの快晴。
ここで一雨ほしいところ・・・と思いながら曽木の滝を後にして、快適な農免道路を抜けて、栗野へ。
旧栗野町は、となりの吉松町と合併して、湧水町となりましたが、その由来が、豊富な水。
栗野駅のすぐ裏にある、丸池水源。
1日6万トンの水が湧き出すこの池は、この辺り一帯の水道原水でもあり、農業用水源でもあります。
さて、ここにきて、栗野岳のあたりに黒い雲が湧いてきて、雷も鳴りだしました。
そして・・・栗野を離れて鹿児島に帰る途中、横川のあたりで夕立に出会いました。
長い距離を走ってきたクルマも、これでリフレッシュできたでしょうか?
いいドライブでした。
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