2013年08月28日
産まれました!
40を目前に結婚したワタクシたち。
子供については、長期戦を覚悟していました・・・少なくともワタクシは。
ところが、あわてもののコウノトリがいたようで、結婚してから2か月を待たずにご懐妊と相成りました。
そして・・・私たちの赤ちゃんはどうやら活発な性格らしく、オカミサンのお腹の中にいるうちからポコポコ、グリグリと動き回り、ついには早くおんもへ出たいとばかりに、予定日より2週間も早く産まれてきました。
8月27日・・・夏休みの宿題が追い込みで半泣き状態の頃に、この子は誕生日を迎えることになるのですがね。
昨日の朝のこと。
なんだか幸せな夢を見たけど、中身を思い出せないような気分で、布団の上でゴロゴロしていました。
連日の猛暑がウソのように、急に涼しくなって、寒ささえ感じた朝でした。
新聞を読もうと起き上がろうとしたとき、枕元に置いたケータイが鳴りました。
見ると、発信者は里帰り中のオカミサン。
ワタクシは直感で、夢の正体を悟り、
「ああ、来たか」
と妙に落ち着いてケータイのボタンをぷちっと押しました。
すでに正常出産の期間に入っていて、いつ産まれてもおかしくないという事で、ワタクシは毎日飲んでいた大好きな大好きなお酒も断って、備えていたのです。
はたして、昨夜破水して、もう入院したという連絡。
けれども、その時点では、夜から翌朝にかけて産まれるだろう、ということでした。
だからワタクシは、普段どおり勤め先に出勤して、けれども午前中で早退するつもりでいました。
出勤はしたけれど、当然のことながら仕事は手に付きません。
そのうち、事情を知った室長から、
「はよ帰ってやらんか!」
と一喝され、退勤。
自宅に帰ってのんびり準備し、デジカメをカバンに入れて、赤ちゃんと会うのだからとシャワーで念入りに体を洗って、午前10時半ごろだったか、オカミサンの里帰り先の町に出発。
途中、ロードサイドのショッピングセンターに立ち寄り、オカミサンからの頼まれ物を買って、
フードコートでマーボー定食など食べたりして、昼の1時に産院に到着。
朝の電話では、午後に陣痛が来はじめるだろう、ということでした。
ところが。
すでに陣痛は始まっていました。
しかも出産まであと少しという段階。
断続的な陣痛に苦しむオカミサンを前に、ワタクシはただただオロオロ。
助産師さんだけが落ち着いて、オカミサンに声をかけたり、励ましたりしていました。
そのうちにオカミサンは分娩室に移され、立会いする事になっていたワタクシもピンクの上っ張りを着せられて、あれよあれよという間に出産。
・・・とは言え、オカミサンにつられて意味もなく力んでいたワタクシは、足が痙攣してしまいましたが。
助産師さんもお医者さんも驚くくらいの安産で、力強く泣き声をあげる女の子が産まれました。
思わずワタクシは泣いてしまいました。
オカミサンも、泣いていました。
産院のスタッフの方々がカメラを用意していて、「はい、こっち向いて」「今度はこっちを向いて」という感じで記念撮影。
ワタクシは自分で持ってきたカメラを出せずじまいでした。
それから、実家から知らせを聞いてやってきたオカミサンのご両親と、鹿児島からバスでやってきたワタクシのハハオヤも一緒になって、夜の9時までの面会時間ぎりぎりまで産院で粘って、ガラス越しに赤ちゃんを眺めていました。
この子が成長し、大人になるころには、どんな日本、どんな世界になっているのでしょうか。
産まれてきた子供たちが健やかに暮らせるような世界を、ワタクシたち大人は作っていかねばなりますまい。
この子がオカミサンのお腹の中にいる間に40歳を迎え、この子が成人する頃には間違いなく還暦になっているワタクシ個人的にも、今まで以上に仕事に励んで家庭に幸せを持って帰り、家族みんなで明るく楽しく温かい家庭を作っていこうと、激しく感じました。
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子供については、長期戦を覚悟していました・・・少なくともワタクシは。
ところが、あわてもののコウノトリがいたようで、結婚してから2か月を待たずにご懐妊と相成りました。
そして・・・私たちの赤ちゃんはどうやら活発な性格らしく、オカミサンのお腹の中にいるうちからポコポコ、グリグリと動き回り、ついには早くおんもへ出たいとばかりに、予定日より2週間も早く産まれてきました。
8月27日・・・夏休みの宿題が追い込みで半泣き状態の頃に、この子は誕生日を迎えることになるのですがね。
昨日の朝のこと。
なんだか幸せな夢を見たけど、中身を思い出せないような気分で、布団の上でゴロゴロしていました。
連日の猛暑がウソのように、急に涼しくなって、寒ささえ感じた朝でした。
新聞を読もうと起き上がろうとしたとき、枕元に置いたケータイが鳴りました。
見ると、発信者は里帰り中のオカミサン。
ワタクシは直感で、夢の正体を悟り、
「ああ、来たか」
と妙に落ち着いてケータイのボタンをぷちっと押しました。
すでに正常出産の期間に入っていて、いつ産まれてもおかしくないという事で、ワタクシは毎日飲んでいた大好きな大好きなお酒も断って、備えていたのです。
はたして、昨夜破水して、もう入院したという連絡。
けれども、その時点では、夜から翌朝にかけて産まれるだろう、ということでした。
だからワタクシは、普段どおり勤め先に出勤して、けれども午前中で早退するつもりでいました。
出勤はしたけれど、当然のことながら仕事は手に付きません。
そのうち、事情を知った室長から、
「はよ帰ってやらんか!」
と一喝され、退勤。
自宅に帰ってのんびり準備し、デジカメをカバンに入れて、赤ちゃんと会うのだからとシャワーで念入りに体を洗って、午前10時半ごろだったか、オカミサンの里帰り先の町に出発。
途中、ロードサイドのショッピングセンターに立ち寄り、オカミサンからの頼まれ物を買って、
フードコートでマーボー定食など食べたりして、昼の1時に産院に到着。
朝の電話では、午後に陣痛が来はじめるだろう、ということでした。
ところが。
すでに陣痛は始まっていました。
しかも出産まであと少しという段階。
断続的な陣痛に苦しむオカミサンを前に、ワタクシはただただオロオロ。
助産師さんだけが落ち着いて、オカミサンに声をかけたり、励ましたりしていました。
そのうちにオカミサンは分娩室に移され、立会いする事になっていたワタクシもピンクの上っ張りを着せられて、あれよあれよという間に出産。
・・・とは言え、オカミサンにつられて意味もなく力んでいたワタクシは、足が痙攣してしまいましたが。
助産師さんもお医者さんも驚くくらいの安産で、力強く泣き声をあげる女の子が産まれました。
思わずワタクシは泣いてしまいました。
オカミサンも、泣いていました。
産院のスタッフの方々がカメラを用意していて、「はい、こっち向いて」「今度はこっちを向いて」という感じで記念撮影。
ワタクシは自分で持ってきたカメラを出せずじまいでした。
それから、実家から知らせを聞いてやってきたオカミサンのご両親と、鹿児島からバスでやってきたワタクシのハハオヤも一緒になって、夜の9時までの面会時間ぎりぎりまで産院で粘って、ガラス越しに赤ちゃんを眺めていました。
この子が成長し、大人になるころには、どんな日本、どんな世界になっているのでしょうか。
産まれてきた子供たちが健やかに暮らせるような世界を、ワタクシたち大人は作っていかねばなりますまい。
この子がオカミサンのお腹の中にいる間に40歳を迎え、この子が成人する頃には間違いなく還暦になっているワタクシ個人的にも、今まで以上に仕事に励んで家庭に幸せを持って帰り、家族みんなで明るく楽しく温かい家庭を作っていこうと、激しく感じました。
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Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 22:42│Comments(0)
│つれづれ
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