2017年07月26日

風の又三郎 ガラスのマント

僕が生まれて初めての献血をする前に見た映画が、『風の又三郎 ガラスのマント』だった。

小学生の時に宮沢賢治の生涯を書いた読み物で、宮澤賢治という詩人の人となりが心に強く刻み込まれたのが僕と賢治との出会い。

中学一年の時に『銀河鉄道の夜』のアニメに感動した。

中学の時には賢治の童話を読み漁り、読みふけったが、『春と修羅』をはじめとする詩の数々は、まだ幼なかった僕には歯が立たなかった。

もっとも、のちにハタチくらいになってからは、詩の方にのめり込んだけれども。

いちばん好きだったのが『グスコーブドリの伝記』。

当時の十代の僕にとっては、作品、世界観、生き方、すべてが憧れの対象だった、いわゆる「賢治ワールド」。

そしてその宮澤賢治作品の映像化作品のひとつが、『風の又三郎 ガラスのマント』だった。

この映画のことは、公開直前の新聞の特集記事で知った。

そしてその記事で紹介されていた、ヒロイン・かりん役の早勢美里の写真にとても強く心を惹かれた。

早勢美里といえば、1990年前後に光り輝いた美少女スター。

『風の又三郎 ガラスのマント』は、その早勢美里のデビュー作だったと、後で改めて知った。

元々の宮澤賢治ファンである事に加え、写真の早勢美里の眼差しもあって、公開直後に観に行った。

しかし1989年という当時は、世間は円高不況を乗り切った後のバブル景気に浮かれ騒ぎ、そんな地味な映画には目もくれないような感じもあった。

だからか、鹿児島での封切館は山下小学校の近くにあったミニシアター「シネマ80・120」だった。

その映画館は名前の通り、80席と120席のシアターがふたつ並んだ作りになっていた。

そういえば『銀河鉄道の夜』を観たのも、そこだった。

そんな小さい映画館なのに、しかも封切り間もないのに、お客の入りは悲惨なくらいのガラガラさだった。

しかし映画自体は、原作の味わいを少しも損なう事なく、そしてかりんという原作にはなかったキャラクターも効果的に活き活きと華を添え・・・素晴らしかったように、当時高校一年の僕には見えた。


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Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 21:22│Comments(0)89→91
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