2012年11月26日
加世田駅跡の機関車、お色直し
飛行機少年だったワタクシが鉄ちゃんに転んだきっかけになったのは、小学校4、5年のときの鹿児島交通南薩線の廃止問題。
地元の反対運動にもかかわらず、1984年3月17日を最後に廃止されてしまったのですが、それでも南薩線は沿線の方々や、ワタクシの記憶に今もまだ生き続けています。
だから、
旧南薩鉄道のSL、ディーゼル車お色直し完了 南さつま
という新聞記事を11月24日に見た私は、その翌日には加世田に向かっていました。
ちょうど、オカミサンの実家に行ったついでもあったのですがネ・・・。

4号機関車。1926年製造。
1962年まで現役で、その後は加世田の機関庫の中で眠っていました。
1945年、上日置付近を走行中に米軍機の機銃掃射を受けた痕が運転台に残っているのが、外からも見られます。

ディーゼル機関車 DD1201。
1962年製造。4号機関車をはじめとする蒸気機関車を南薩線から一掃しました。
貨物列車が廃止された晩年は、工事列車をたまに牽くくらいでした。
南薩線・・・晩年は吹上浜沿いに伊集院と枕崎の間を結んでいましたが、最盛期には知覧や万世に行く支線もありました。
とにかく強烈な印象を残したローカル私鉄でした。
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地元の反対運動にもかかわらず、1984年3月17日を最後に廃止されてしまったのですが、それでも南薩線は沿線の方々や、ワタクシの記憶に今もまだ生き続けています。
だから、
旧南薩鉄道のSL、ディーゼル車お色直し完了 南さつま
という新聞記事を11月24日に見た私は、その翌日には加世田に向かっていました。
ちょうど、オカミサンの実家に行ったついでもあったのですがネ・・・。
4号機関車。1926年製造。
1962年まで現役で、その後は加世田の機関庫の中で眠っていました。
1945年、上日置付近を走行中に米軍機の機銃掃射を受けた痕が運転台に残っているのが、外からも見られます。
ディーゼル機関車 DD1201。
1962年製造。4号機関車をはじめとする蒸気機関車を南薩線から一掃しました。
貨物列車が廃止された晩年は、工事列車をたまに牽くくらいでした。
南薩線・・・晩年は吹上浜沿いに伊集院と枕崎の間を結んでいましたが、最盛期には知覧や万世に行く支線もありました。
とにかく強烈な印象を残したローカル私鉄でした。
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Posted by 植野 丈 (吉松真幸) at 18:13│Comments(0)
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